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わたしの成分(aiko)

わたしも小学生のときはSPEEDとか浜崎あゆみとか時代に乗っていた。SPEEDごっこは多香子担当だった。4人組で熱唱して校庭を練り歩いていた。

中・高校生くらいから、各々の音楽の趣向みたいなものが出てくる気がする。人と違うバンドを聞いていたらかっこいい、そんな空気が確かにあった。

そこで、わたしが推し(当時そんな言葉は無かったけど、ほんとうに良い言葉だな。)と狙いを定めたのが、aikoだった。

当時母がカブトムシ(1999)やアンドロメダ(2003)をよく歌っていた。(母は家でだいたい歌っていた)その影響でわたしも歌えるようになった。今でも、aikoを先に好きになったのは私だから、と母は威張っている。

それから、わたしが密かに憧れの気持ちを持っていた、隣のマンションに住んでいた同級生のミサも、「aikoっていいよね」って言っていたんだっけ。だいたいわたしは真似っこするんだ、昔から。

…ちなみにミサは、BUMP OF CHICKENを教えてくれた恩人。はじめての”ライブ”はミサが取ってくれた小さな箱でのBUMPだった。冒険だった。コンバースが片っぽ無くなった。これは忘れられない。ミサは元気かな、今は何を聞いているのか興味がある。

わたしがそこからaiko沼にはまるまで、たぶん、すぐだった。

たいした恋愛経験もないのに恋バナをしたり、ポエムを書いたりするのが好きな夢見がちな女子だったので、aikoの「歌詞」の世界が、言葉通り「刺さった」。

とにかくaikoの歌詞を手あたり次第読んだ。ストーリー性がある展開(二時頃、アスパラ)に心が躍った。サブスクなんてないし、CDを全部買うお金もなかったので、音はしらず、歌詞だけ知っている、という曲がたくさんあった。思えば、そこからわたしの音楽は「歌詞先行」になった。

そして、わたしがはじめてのaikoのディスクを買うことになる。それが、今では傷だらけの紫、「暁のラブレター」(2003/11/27発売)だ。

あそこのTSUTAYAで買った。

ここから、わたしのカラダはaikoでできあがっていく。10年以上経ってもaikoをこんなに聞いているなんて、当時は考えていただろうか。

続く。かも。


はじめて買ったCDは、恋のダンスサイト。モーニング娘。(2000)

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