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「育児が大変ならベビーシッターを雇ったら?」と夫が言ってはいけない。

私には二人のこどもがいる。ワンオペ育児で、夫は朝早く出かけ、夜遅くに帰宅する。夫の育児参加については満足とはいえない。 ある時、育児疲れがたまって夫に文句をいった。「私一人で大変なんだから、少しは手伝ってよ!」すると夫は「育児が大変ならベビーシッターを雇えばいいじゃん」と言った。

私はムカついて、すぐさま反論した。

私「は?ベビーシッター?まずあんたが育児をやれ!」 
夫「なんで?そしたら育児が楽になるじゃん。なにが問題なの」

このやりとりって不毛だなぁとつくづく思う。お互いの捉えている問題の本質がまるで違うのだ。このことに最近気づいたのが、堀江貴文さん著「理不尽に逆らえ。真の自由を手に入れる生き方」という本の、とある章をよんだときだ。

この本のなかで堀江氏はこう記している。

妻は、育児はぜんぶ自分たちでやらなければならないと信じて疑わない人だった。それを見かねた僕は、「なんでそんなに無理してるの?」と言ったことがあった。そうすると、妻からは「何言ってんの!  だったらあなたが帰ってきてやりなさいよ!」と怒られた。僕は外注できるものは全部、外注する。頼めるのだったら、頼めばいい。自分は自分しかやれないことに集中すればいい。そのほうが社会のためになる。同様に育児も大変だったら(キャパオーバーだったら)、シンプルにベビーシッターを雇えばいいではないかというのが僕の考えだ。だが、妻はお金を払って子育てを外注するのは「悪」だと思い込んでいた。僕は僕で自分の考えが合理的だと思っているから譲らない。

—『理不尽に逆らえ。 真の自由を手に入れる生き方 (ポプラ新書)』堀江貴文著


コレを読んで、うちの夫と同じ様なこといってるな…と苦笑いした。それにしても、どうして「ベビーシッターを雇えばいい」なんて言うんだろうと冷静になって考えてみた。

私▶︎もっとあなたと育児の大変さを共有したい

夫▶︎育児が大変なら人に頼んで楽すればいい

両者は、全く違うゴールをめざして衝突している。私にとって育児が大変というのは本当の問題ではない。いつも家にいない夫に、もっとこどもの時間をつくってほしい。そして、自分の話をきいてねぎらってほしかった。完全に気持ちが孤独へ走っていて、それを「育児が大変なんだから」と夫にぶつけていたのだ。

合理的に育児が大変という問題を解決しようとした夫に悪気は、ない。(たぶん)でも、自分のこどものことなんだからさ、家族のことなんだからさ、合理的に解決する前にもっと話きいてよって所が私の本音である。

かなしいかな、夫は家族のために夜遅くまで仕事をがんばっているのにその合理的な考えを育児に持ち出した瞬間、私からブチギレされるのだ。

アメリカやスウェーデンと違って、ベビーシッターがいまいち根付いていない日本では「育児が大変」なだけでそれを気軽に利用する人は少ない。最近こそ共働きが増えたが、まだまだ共働き夫婦の労働時間は夫の方が多く妻は早めに帰宅し、育児に追われるのだ。

だから、「育児が大変ならベビーシッターを雇えばいい」と夫が言ってはいけない。そしてこう伝えたい。

もし、私が「育児が大変だから手伝って」と言ったらすぐさま手伝うか、話を聞いてあげてほしい。その話の中に、解決すべき本当の問題が隠れているかもしれない。それを理解したうえなら、どうぞ合理的にでもなんでも解決してほしいと思う。

ただ、うちの夫は私が話そうとすると5秒で寝てしまう。最近は記録更新で、「ねぇ」の1秒で寝た。当分この声は届きそうもない。


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