#18 ふじたみさと「外の空気をすいこむ」
「あゝ、もうお別れだ! 山にも、木にも、石にも、花にも、動物にも、此の蝉の声にも、一切のものに・・・・」
さう思つた刹那、急に私は悲しくなつた。
祖母や叔母の無情や冷酷からは脱れられる。けれど、けれど、世にはまだ愛すべきものが無数に在る。美しいものが無数に在る。私の住む世界も祖母や叔母の家ばかりとは限らない。世界は広い。
(金子文子『何が私をかうさせたか』「朝鮮での私の生活」其の十五)
長い自宅待機を経て家の外に出たとき、ああ、私は地球に生きているのだとはっとした。長い映画を観終わってふと窓を開け、外の世界をながめたときの感覚にも似て、太陽の光、鳥の声、思いきり外の空気をすいこむ心地よさにおどろいてしまった。百年ほど前、金子文子の自死を思いとどまらせたものも、こうした自然だっただろうか。セミの鳴き声、山にいる動物たち、虫たち、そしてそうした生き物たちのひとつにすぎない人間、なぜだかこうして生きているということのふしぎ。
世界は広い。私はそれを知りたい、と文子は言う。
わたしの生きている世界はほんとうは、社会てき、世の中てきな今、ここの現実以上にずっと広いものなのだと、そうわたしは感じる。今もこの先も、世界はけっして、こうでしかありえなかったものではない。ひとつの世界としてあるようで、そうではない。常に、そこには無数の、選ばれなかったべつの道がある。
今目の前に広がる、生きることそのものが「リスク」としてとらえられるような空気、うんざりするほど私物化された政治、多くの不平等、けれどそうではないべつの世界があるのだと、文子やフェミニストたちはわたしに教えてくれた。今はたんなる空想でも、これではないべつの可能性がきっとある。だとすれば、いや、だとしなくても、私たちは声にしていい。「わたしはべつの道を望む」と。怒ったってもちろんいい。今目の前にあることがらは、わたしの望んだものじゃない、と。*
*「この星は、わたしの星じゃない」と言ったのは田中美津だった。
誰にも受け入れられないような自分自身すら、わたしは認めながら生きていきたい。弱くて、はた目にはすっきりと割りきれない存在だとしても、それでもその弱さを、いとおしみながら生きていきたい。それができない世界なら、それはわたしの星じゃない。
たとえば健康で文化的に生活することがむずかしい人がそこにいるとき、それはその人じしんの問題だろうか。これではない世界ならいくらでもあるのに、社会の方がべつの道を選ぶというひとつの答えに、なぜここまで遠回りが必要なのだろう。
金子文子は、1903年横浜に籍のない子供として生まれた。父親にも母親にも実質捨てられ、子供として与えられるべき保護を与えられないまま育ち、7歳のときに朝鮮の親戚にもらわれていく。後継ぎとしてもらわれた文子には、叔母らにしたがって楽な暮らしを得る道もあった。だが、幼い頃から自分の考えによって生き方を決めていく力をもっていた文子は、不服従を貫き、叔母らから七年間も折檻を受け続ける。度重なる扱いに傷ついた文子は、ついに自殺を決意し川に身を投げようとする。そのとき文子を思いとどまらせたのは、動物たちの声、山や川などの自然、また自分を虐げてきた人びとや社会への怒りだった。知識欲の塊となった文子は、その後東京でさまざまなことを学びはじめる。社会主義やアナキズムに傾倒し、朴烈らと出会い「じぶん自身の仕事」へと向かう。手記に書かれたのはこの辺りまでの話だが、その後関東大震災時に投獄され、1926年に獄中死。
参考)
金子文子『何が私をかうさせたか』(1972、黒色戦線社)
鶴見俊輔『思想をつむぐ人たち』(2012、河出文庫)
[ふじたみさと:1992年生まれ、主婦。ゆめみるけんりVol.1〜4に寄稿。https://mfrgmnt.tumblr.com ]