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ペクトラジ  第三部 「朝鮮戦争」

1950年6月25日、朝鮮民主主義人民共和国は突如として軍事境界線38度線を越え、大韓民国に進軍してきた。
突然の攻撃に、韓国軍はなすすべも無く敗退した。
また人民軍の練度も高く、わずか数日で韓国のほぼ全土が制圧される勢いだった。

非戦闘員も惨殺され、婦女子は暴行を受け、韓国民は北朝鮮軍に恐れおののいた。
 
北朝鮮軍は、突然進撃を中断した。
その理由は定かでないが、食料・弾薬の補給が進撃の速度に追いつかなかったと思われる。
戦闘は戦闘員だけでなりたつものではなく
武器弾薬の補給や兵士の食料を運搬する
非戦闘員に支えられなければ
戦闘は成り立たない。
尤も、食料に関しては、民家を襲撃し
食料を略奪したことも考えられる。
 
そして、天然の要塞「ソベク山脈」で進軍が妨げられ、釜山(プサン)までの進撃が遅れ、
逃避や防衛の時間稼ぎができたものと思われる。

その結果、運のよい家族は北朝鮮から一番遠い南端の釜山(プサン)への逃避に成功した。


 明治時代の日韓併合時から、釜山と馬関(ばかん=下関の旧称)は「関釜(せきかま)連絡船」で結ばれていた。
博多港のほうが釜山には近いのだが、関門海峡という海路を経て、再び陸路となるため、下関からのほうが釜山への道は一直線で簡単である。
故に下関は日本の西玄関と呼ばれた。
この連絡船は戦後も同様に航路として整備されていた。

その連絡船に乗って、多くの韓国民が難民と
して下関へと流れ着いてきた。
パク家もその難民の一つで、夫婦と幼い娘一人の家族であった。

剛がその家族に出逢うのはもう少し後の話である。

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