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山田家物語 第1章 「事務所移転」

(注)これは #ペクトラジ  の続きです。
 
 
韓国部落は移転したものの
失業対策事務所も陸上競技場の
邪魔になる。
ただ、事務所の移転にはかなりの準備が
必要で、1年程度かかった。
向洋町からすこしはずれた第3練兵場の近くに
移転した。
ここでも事務所の様子はほぼ同じで
山田家も宿直室が与えられた。
 
金一と明子の仕事も変わらず
金一は日中は土方、夜は事務所の夜警
明子は飯炊きとお茶くみである。
 
ところがある日、新事務所の看板をつくりたい
と事務所長が言い出し、看板の書き手を公募した。
当選金額1000円である。
これは当時の金では破格の金額である。
 
金一は庄屋の長男だったので
子供のころから「柔道」「剣道」
そして「書道」や「そろばん」など
文武両道の教育をたたきこまれていた。
その時習った「書道」の腕が役立ったのである。
見事当選し、看板を書き上げた。
その立派な出来栄えに、所長は驚いた。
そして、帳簿をもってきて、
「これをそろばんではじいてみろ」と
命令した。
そろばんも達人である。
たちまちのうちにはじきあげると
所長が一言
「これほどの才能をもつ人間を土方に
しておくのは惜しい、準職員に採用する。」
決して土方(いまでは作業員)をばかにするわけではないが
まさに「芸は身を助く」
準職員の辞令が即座に下りた。
その日から金一は事務所の事務員を
担当することとなった。
もっとも、夜警の仕事は続けられた。
 
失業対策事務所は下関市役所の管轄である。
金一の成績が認められ
下関市役所の正職員に採用されるのに
それほど時間はかからなかった。
準職員と正職員ではまるで待遇が違う。
給与も倍近くなり、有給休暇も与えられ
ボーナスも全額支給されるのである。
 

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