山田家物語 第3章 「事務所事件と引っ越しと転勤」
(注)これは #ペクトラジ の続きです。
ある日、事務所に「ボヤ事件」が発生した。
放火のあとが発見されたのである。
金一は夜警の任務も兼任していたので
これが責任問題まで発展した
すなわち、十分に夜警の仕事に従事して
いなかったということである。
しかし、人間はたえず見張りについているわけには
いかない。
それぞれ私用もあることだし。
しかし、事務所も対面上の問題もあるので
夜警の仕事をはく奪した。
従って、夜警室である事務所の部屋は
使用できない。
事務所は格安の下関市営住宅を
斡旋してくれて、そこに転居することとなった。
失業対策事務所での勤務は無理なので
金一は下関市役所に転属となった。
事務所ではすでに正社員となっていたが
本部の下関市役所での給与は
減額されることなく、与えられた。
最初の部署は「観光課」である。
当時の下関は、観光の市として有名で
外国人(特にアメリカ人)の観光案内を
するのが主任務だった。
ある日、アメリカからの観光客にたいして
赤間神宮における「先帝祭」の案内を
命じられた。
源平合戦で敗れた平家の仁徳天皇が
祀られている赤間神宮で、年に一度
売春婦に身を落とした女官たちが
御贔屓集のもと、赤間神宮の舞台で
当時の艶姿を披露するのである。
アメリカ観光客は「これは何だ」と質問するが
金一は英語がわからないので何も返事をしない。
反面、アメリカ観光客は、下関市役所の
観光課の案内人だから、英語は堪能だと
おもい、次々と質問をたたみかける。
それでも金一はなにも返事をしないもので
最後にアメリカ人は怒り出して
[What is this!]と連呼した。
これにはたまらず金一は
「コシマキヒラヒ~ラ」と大声でこたえた
[What Koshimaki Hira Hiira?]
これが観光課で有名になった
「腰巻ヒラヒラ事件」である。
当時はまだ許せたが、後年では
国際問題にも発展しかねない
公務員の失態である。
この事件を猛省した金一は
英語の猛勉強を始めた。
毎日、就寝前に英語の辞書と首っ引き
今のように「英会話のノバ」など無い時代
金一は日曜たんびに手弁当で
アメリカ映画を見に行った。
当時の映画館は、入れ替えなどなく
1日に何度でも同じ映画を見ることができた。
最初の1回は、耳で英語を聞き
目でしっかり字幕をみた。
2回目は、あまり字幕を見ずに
聴いているだけ
3回目は全く字幕をみずに
耳だけで物語を聞いた。
2回もみると、あらすじを覚えているので
3回目の耳だけで、およそどんなことを
言っているか想像できる。
アメリカの駆逐艦が下関の港に寄港し
米兵が降りてきたときは
絶好の英会話のチャンスである。
そのような努力を重ね
ついにはわずか半年で
英会話が可能となったのである。
これで「観光課」での仕事は安泰で
公務員は転属の多い中
かなり長い間、観光課で働くことになる。
冒頭の写真は、いまでも先帝祭が行われる
「赤間神宮」
下関市役所から徒歩圏内にある。
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