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山田家物語 第4章 「下関の衰退」

(注)これは #ペクトラジ  の続きです。
  
下関といえば「ふぐ」
地元ではトラフグは幸福を呼ぶ魚という
ことで「フク」と呼んだ。
勿論「福」と語呂合わせした呼び方である。

フクが水揚げされる風泊漁港は、昔の関門鉄道トンネルの
下関駅の近くである。
よって、下関駅付近は大繁盛した。
しかし「観光地」としては弱かった。
赤間神宮の先帝祭も、年に一度しか
開催されない。
つまり、下関は漁港だけのたよりで
漁業関係者の収入は良いのだが
市としての基盤は弱かった。

しかしそれを補ったのが「公営ギャンブル」
である。
中心部からかなり離れた長府に
ボートレース場があったのである。
公営ギャンブルが下関市を支えたと
いっても差し支えない。

下関市には商店街以外に
これといった職場はなく
貧乏人も多かった。
そんな貧乏人も、ボートレースで
一攫千金の夢をみて大金を投じ
破産する家庭もあとをたたず
ひどい場合は「一家心中」という事件も
かなり起きた。
当然、良識者から市役所に
抗議の嵐が寄せられたが
何しろ、公営ギャンブルで成り立っているような
市なので、市としても簡単に公営ギャンブルを
廃止するわけにはいかない。
 
1958年3月9日:関門国道トンネル完成
この入り口は、下関の椋野からはいるため
下関駅からかなり離れた位置となる。
このトンネルの完成により
本州と九州を結ぶ交通路としては
便利になったが
下関駅や唐戸周辺は、取り残されてしまう
こととなり、ますます駅や唐戸は
観光地から遠のいていく。

(後年、唐戸に水族館ができたり
金子みすずの記念碑などが
たてられ、次第に整備されていく
冒頭の写真は、金子みすず記念碑である。)

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