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山田家物語 第2章 「剛のあそび」
(注)これは #ペクトラジ の続きです。
剛は小学中学年ともなり
韓国部落民とは遊べないので
近所の家の子供達と知り合いになり
遊ぶようになった。
低学年の剛は極度の対人恐怖症であったが
韓国部落とのつきあいにより
それが解消されたのであろう、わりと簡単に
日本人の友達の仲間に入っていけた。
小学4~5年ともなると
当時はやった「月光仮面ごっこ」をやった。
大人の自転車を借りて三角乗りし
風呂敷の頭巾に風呂敷のマント
駄菓子屋で買ったおもちゃのサングラスをかけ
手には、当時流行った「百連発」の
巻紙のおもちゃのピストルを構え
「我こそは正義の味方月光仮面じゃい」
とさけぶと
誰も悪役には成りたくない。
「いや違うんじゃ~。ワシこそが本当の月光仮面じゃい」
ということで、全員「月光仮面」だった。
「お年玉ツアー」
そのころから「お年玉ツアー」があった。
正月ともなると、子供達が来訪すると
縁起がよいということで
各家庭一人ずつ5円のはいった「ポチ袋」
をくばった。
子供達の人数も5~6人と決めていて
訪問先もご近所の10軒程度ときめ
子供なりに仁義をわきまえていた。
しかし、当時の50円はかなり高額な
こずかいではある。
「イチジク狩りツアー」
当時の便所は今のように下水道ではなく
汲みとり式だったので
おおくの家庭が便所の裏手に
目隠しとして「イチジク」を植栽していた。
実がなっても持ち主は放置状態
それをいいことに子供たちがあつまり
「イチジク狩りツアー」をおこなった。
贅沢なおやつであるが、持ち主も
子供達がやることだと了解していたようである。
「テレビ観戦ツアー」
そのころの家庭にはほとんどテレビは
無く、お風呂屋で見る程度だった。
しかし、近所にお金持ちの家があり
白黒だけどテレビを持っていた。
親しい仲間3人で、番組と時間帯をきめ
よくお邪魔したものである。
番組も多いと迷惑をかけるので
「月光仮面」「白馬童子」「鉄人28号」程度だった
ようである。
親は、お歳暮やお中元を届けて
いたようだが、子供たちは知らない。