天国に旅立った男の子との思い出
「ショウと仲良くしてくれてありがとう」
天国へと旅立ったショウくん。彼のお母さんからもらったこの言葉は、思い返す度に胸に染みる。
小学校1,2年生の時だったと思う。
近所にショウくんという同級生の男の子がいた。彼のお家にはスーパーファミコンのソフトが沢山あって、とても羨ましかった。
だから彼に誘われれば遊びに行ったし、自ら遊びに行きたいと言った覚えもある。記憶は朧気ながら、カービィやワギャンをよくしたような気がする。
ショウくんは頭髪が薄かった。心無い同級生にそれを言われてとても悲しそうな顔をしたのをわたしは覚えている。
わたしも自分の母に「どうしてショウくんの髪は薄いの? おじさんみたい」と聞いてしまったことがある。当然ながら、母には「ショウくんには絶対そんなこと言っちゃダメよ」と怒られた。
ある日、同級生に「ショウくんとよく遊んでるよね。ショウくんのこと好きなの?」と聞かれたことがある。
わたしはただゲームがしたい一心でショウくんと仲良くしていた。だから、放っておいてって思った。(なんと答えたかは覚えていない)
当時のわたしは同級生に違和感を覚えていた。
頭髪が薄いことを本人に聞こえるように言う。
わたしがショウくんと親しくしてるだけで好きなのか質問してくる。
どうしてそんなことを言ったり聞いたりするのだろう。幼いながらにそう感じていた。
思えば、わたしは周りを気にしない子だった。
小学校高学年の頃だろうか。図書室でいじめの本や好きな人ができた時に読む本を借りて読んでいた。それを見た同級生に「いじめられてるの?」「好きな人いるの?」って聞かれたり噂されたりした。
わたしは誰がどんな本を読んでいようと好きな人がいようと興味がなかった。だから、頭の中は変な質問をしたり噂で振り回す同級生に対する疑問符でいっぱいだった。
小学校高学年どころか、小学1,2年生の時点でそういう気にしない子だったのだ。
ショウくんは学校を休む頻度がわりと多かった。
ゲームをしたくて遊びに誘っても、「ショウね、体調が悪いの」ってお母さんに断られたことも何度かある。
断ってきたお母さんに「明日は遊べる?」って聞いたことがあって、お母さんは「どうかな?」って答えた。しつこいわたしは「じゃあ明後日は?」って聞いてしまって……お母さんは「どうなんだろう。もう一生無理かもしれない」って答えた。
その時一緒にいたお友達に「お母さん泣いてたね」って言われたけれど、わたしは鈍感だからお母さんの表情の変化には気づいてなかった。
それから数日が経った頃かな。
学校の担任の先生か自分の親か忘れたけれど……ショウくんは転校したと教えられた。素直だった幼いわたしはその言葉通り受け取った。
だけど、同級生の子は「でも、ショウくんのお母さんはお家に住んでるよ」って言っていたしお葬式の白黒の垂れ幕がショウくんのお家の周りに掛けられているのも見た。だから何となく、「あ。しんじゃったのかな」って気づいてはいた。だけど実感はないし幼いからよくわからないしで、考えないようにした。そして、彼との思い出を無意識のうちに封印していた。
封印していたショウくんとの思い出がよみがえったのは、満島ひかりさん主演のトットてれびを見た時だ。
幼少期、トットちゃんこと徹子さんは体の弱い男の子と親しくしていた。その男の子が亡くなってしまったというエピソードが、ショウくんとの思い出とリンクしているからだろう。
小学校1,2年生のわたしのお気に入りはひまわり柄のワンピース。
自分で言うのも変だけど、ひまわりみたいな女の子だったと思う。
子どもであるわたし達には未来があることが約束されていて、きっとその未来は光に溢れているのだろう。太陽のまぶしさや美しさに目を奪われていて、周りには影や闇もあることを知らなかった。
わたしの未来も輝いているように、きっとショウくんの未来も輝いている。そう信じていたわたしだから、無邪気にショウくんのお母さんに「明後日」のことを聞いてしまった。
闇の深淵が近くにあって怯えているショウくんのお母さんの気持ちをわからず、無意識のうちに傷をつけていたのだ。
お母さんを傷つけてごめんね、って謝ったらきっとショウくんは許してくれるんだろうな。
ショウくんは頭髪のことを言ってきた同級生に仕返ししなかったし、人を傷つけるような発言をしていなかった。それはきっと、優しいから。優しいから、幼きわたしが振りかざした無邪気な刃のことも許してくれる気がする。
痛みを知っている人って、他人の痛みにも敏感なの。
わたしの弟も体が弱い。幼稚園で階段から落ちて腕を骨折したけどきれいに治らなかったし、中学生の時に背骨が曲がる病気が発覚して大手術をした。成人した今でも同世代の一般的な男性と比べて体が弱いと思う。
わたしの弟も優しい。弟も誰かに傷つけられることが多いけれど、傷つけるようなことはしていなかった。
ショウくんが亡くなった直後、母に「えりちゃんも連れていかれるんじゃ」って心配された。けれど、わたしは三十路を過ぎた今でも元気に生きている。
だって、ショウくんは優しい子だもん。寂しいからって友達を連れてゆくことはしないし、幸せを願えるような子なんだと思う。
わたしはゲームがしたくてショウくんと仲良くしていたと思っていたけれど、今になって気づいた。わたしはショウくんの優しさが好きだったんだ。
だからね、もしショウくんや彼のお母さんに届くのなら言いたい。
「子どもの頃のわたしと友達になってくれてありがとう」
徹子さんは亡くなった男の子にテレビの面白さを教えられた影響があってか、テレビの世界に飛び込んでいった。わたしが創作の世界に憧れるのは、ショウくんとゲームの楽しさを分かち合った思い出があるからなのかな。
あと、わたしは嵐なら櫻井翔さんが好きで、ユーチューバーならタケヤキ翔さんが好き。これはショウくんの因果なのかなってちょっとだけ思う。