名推理、コンボ、魔法の杖


スタジオの中心に居たのはオルバンだ。

居た、のだ。過去のとある時点までは。

今は、ある。オルバンの跡が、残骸が。

スタジオの中心にあるのは、腹部をコントラバスが貫通した一つの遺体だけだった。

思わず俺はオルバンに駆け寄った。

深い森の長老の木のような皺の刻まれた顔も、シルバーウルフみたいな軽やかで短い白い髭も、プレイ中にあれほど滑らかに動くとは思えない太い指も、いつも通りだった。

が、誰に対しても暖かだった目は、どろん、と黒く濁って、一切の光を失っていた。

どうしようもなく悲しくなって、怒りが湧いてきて、床を叩いた。

「〇〇○○ッ!(好きな罵倒を入れよう。どれも正解だ。)」

感情的になった息を必死に押し留めて、深呼吸する。

俺は、神と俺を育ててくれたザ・グレートグランドファザーと父のように暖かかったオルバンに誓う。犯人を俺の手で捕まえてやる。


スタジオの支配人は事情を聞くなり「ヤバいよ、警察はヤバいんだよ、本当に…」と言ったきり電話の前に座り込んで、死にそうな目をしている。いや、殺しそうな目か。通報はやめだ。

そこへ息を切らして飛び込んできたのはデイジーだ。

「ディーン!オルバンは!?」

俺はスタジオに目配せした。デイジーがスタジオへ入ると、しばらくして泣き声が聞こえてきた。

美しく黒真珠のように輝くシンガーのデイジーはオルバンのガールフレンドだ。オルバンの年代物のブランデーのような魅力に参る女性は存外に多い。

彼女は…犯人とは思えなかった。動機に欠ける。スタジオから聞こえてくる悲痛な声からも、そう思われた。

「オイ、なんだ、何の騒ぎだ?デイジーとクソオルバンが別れたか?」

無遠慮な声と酒臭い空気、俺が顔をしかめると、ハッドのクソ野郎はニヤニヤしながらスタジオに入り、「オウッ!?」と声を出して黙り込んだ。

サックスのハッドはクソ野郎だ。酒を飲まずにスタジオへ来た日は数えるほどしかないし、デイジーに露骨に色目を使う。オルバンに金を借りていたし、借りた金でカードに負けて、また借りていた。

ハッドは、かなり犯人っぽい。相当な怪しさだ。デイジーへの横恋慕、金、フザけたセッションをしてオルバンにドラムスティックを投げつけられたこともある。動機が多い。

しばらくは、デイジーの泣き声と、呆然と立ち尽くすハッドと、それを胡乱な目つきで睨む支配人という時間が続いたが、我慢しきれなくなったハッドが便所に向かった。

俺はそれに付いて、連れションとシャレこむ。

ハッドが犯人だとすると、何かボロを出すだろう。そういう、雑な人物だ。俺はどうやって揺さぶりをかけるか考え、

「坊や。オルバンから聞いてないか、その、マジック、とか。」

「何いってんだテメェ?」

「マジックだ、その、ブードゥーとかの、聞いてないか?」

俺はハッドの頭を疑った。酒で喉はヤラれてるが、酔って演奏を間違えるようなヤツでもない。なのに、マジック?ヘロインでも始めたのか?それが原因か?俺は頭に血が上った!

「ラリったか!?テメェが犯人だな!クソジャンキーめ!!」

俺が突き飛ばすと、ハッドは下半身を露出したまま便所の床へ倒れ込んだ。「違う!」ハッドは叫ぶが、俺の目を見ない。「違うんだ!」

俺はますますカっとなって哀れなジャンキーを蹴り飛ばす。

「何が違う!」

「お前が危ない!デイジーが来るぞ!」

「あ?」

デイジーが?

ずん

と1ブロックでも余裕で響きそうなバスドラムを何十倍にもしたような低音が便所に響いた。

壁にデカデカと描かれたFU○Kのの落書きが、ひび割れている。

ずん

と、また低音が響くと、ひびが大きくなる。

「ひっ」

引っ張るようなハッドの小さな悲鳴は、壁が破砕して飛び散る音と、音響技師の鼓膜を一発でぶち破りそうなデイジーの声でかき消えた。

「ハッドォォォ!!テメェ何こそこそしてんだよぉぉぉ!!心配しなくてもぶっ殺してやるからよぉぉぉ!!!」

「ひ、いぃぃぃぃ!」

ハッドはズボンをうまく上げられず下のハッドを露出させながら便所を転がって逃げる。それはVFX盛り盛りの怒りの表現で追いかけるデイジー。電気がバリバリ言ってる。超クールだ。

俺もラリったか?

(…そんなことはない…そんなことはないぞ、我が息子よ…)

その時、俺の脳内に響いてきたのは、今は亡き育ての親であるザ・グレートグランドファザーの声だ。

(…パパは何時も言ってただろう…ジャズとは、マジックだって…そして、これこそが、人と精霊と音楽の融合、ブードゥー・ジャズだ…)

俺はとうとうおかしくなってしまった。育ての親を失い、父のように慕った人物を失い、幻覚幻聴妄想…セラピーを受けなくてはならない。早急に。輪になって語り合うのだ。楽しいぞ。

瞬間、俺を現実に引き戻したのは伸びやかなアルトサックスの音。ハッドのプレイだ。今日は一段とキレてる。

その音に合わせてスタジオの備品が飛び交っているのを除けば、素晴らしいプレイだった。

「アッハハ!何!?コレ!?万年ポルターガイスト止まりの粗チン野郎がブードゥー・ジャズの後継者?聖人の一人でも降ろしてから言いな!出来損ない!」

ハッドのプレイが一層激しくなると、それに合わせ譜面台とマイクスタンドがデイジーに向かってすっ飛んでいく!

が、それらの超常の礫はデイジーの手前の透明な何かにぶつかってバラバラになって地面に落ちた。

「粗末なモン飛び散らせて一人でイッてんじゃねぇぞ!【ゲオルギイ】!!」

デイジーがその名を唱え、彼女のオペラ歌手も裸足で逃げ出すような大音量のアカペラがスタジオに響き渡った。途端、スタジオに収まらないほどの不可視の圧が爆発し、身動ぎし、実に控えめに暴れた。スタジオが倒壊しなかったのだから、控えめだった。

見えないが分かった。竜だ。スタジオの中で竜が身動ぎした。その結果として壁には宇宙で一番でかい猫が爪とぎしたような傷が付き、床にははっきりと渦巻のクレーターが出来ている。

コードもアンプもマイクもスピーカーも何かの台も無事なものは一つとして無く、飛び散っている。スタジオはミキサーにかけられたようにグチャグチャだ。

ハッドは、それでもまだ息があった。血まみれだが壁を背にして両足で立っているし、サックスを口に咥えてプレイを続けようとしている。息を吸い込み、

PAAaaaa--………

吹いたのは長い長い一音、突き抜けるようなその音が、粉塵を舞い上げてスタジオを覆い隠し、何も見えなくなった。

「ハァ!?クソ野郎!!ここまで来て逃げんのか!?中折れクソチンポ!!」

目潰し!ハッドの得意なセコいイカサマだ。カードでもこの手のセコいのを仕掛けてはオルバンにすぐ見破られていたものだが。

「ディーン、こっちだ!」

ハッドが粉塵の嵐の中から転がり出てきた!そしてトイレの方へ俺を引っ張っていこうとする。その手を俺は払い除けた。

「待て!お前が殺されるのは自業自得だろ!オルバンを殺したんだから!」

ハッドは心底以外そうな顔をして、次に難しそうな顔をして重々しく言った。

「あー、俺はやってないんだ。その、そっちのほうが、俺がやった方が、お前としては良かったとは思う、あ、その、オルバンを殺したかったって意味じゃなくて、お前の立場とか、そういうのを考えると、」

「何の話だよ!」

「いや、そうだ、時間がない。【マヨイガ】は便利だが弱いんだ。すぐ出てくるぞ。これは東洋の妖術師から習った技なんだが…」

「だから何の話だよ!」

「ブードゥー・ジャズの話だディーン!ブードゥー・ジャズの!」

「知らねぇよ!何なんだよそれ!俺はそんなのやった覚えはねぇぞ!」

「いや、俺達はブードゥー・ジャズバンドだったんだよ!事実だ!CDジャケットに干し首を使ったこともあるだろ!」

「えっ、アレ本物だったのか?俺持ったぞ?」

「そういう話じゃないディーン!ああ、デイジーの【ゲオルギイ】が来る!なんで俺はいつもこう無駄話ばかりなんだ!畜生!」

ハッドが悲観的に喚き出すと、スタジオの粉塵が紫に染まる。多分デイジーのなにか凄い悪辣な手管で、酷いことが起きるとだけ分かった。

「ああ、もう、クソ、できる、できるぞ、やってやる。そうだハッド、やれるんだ。」

ハッドは血まみれになりながら泣きそうな顔でサックスを構える。ハッドが犯人じゃないとしたら誰が犯人なんだ?俺は現実逃避するようにソレを考えた。だが、魔法が存在するのに推理なんてする意味あるのか?

(…ある、あるぞ、息子よ…)

俺は脳内に響くザ・グレートグランドファザーの声をできるだけ無視する。話がややこしくなる。いや待てよ…?

(思い出せ息子よ…私との思い出を…犬に噛まれた夏を…あの犬畜生め…)

俺は背負ったナップサックから1本のスティックを取り出した。鉄製の1本しかない、ザ・グレートグランドファザーの形見のスティックだ。

鉄製のスティックなんてドラムを叩けば破れてしまうし1本しかないし、鉄のスティックなんて売ってないし、おかしな土産物のたぐいと思っていたが、これがもしや…?

(犬だけじゃない…アライグマにゴミも荒らされたし…ロクな場所じゃない…息子よ…田舎には住むな…)

ウチの田舎はワニも出たんだ。本当に最悪だった。住人も意地悪ばかりで黒人を差別する連帯感だけはバッチリで…

『ディーン坊や、ワニの事なんて考えている場合かな?』

そうだ、オルバン。今すごく大事なことが…

「オルバン?」

『やぁ、ディーン。死んじまったよ。情けない。』

俺が立っているのは、スタジオ横の汚い便所ではなく、夕暮れのだだっ広い畑の中にある薄暗い十字路だった。

『まあ、時間がないから要件だけ伝えよう。ハッドもファザーもこれが苦手なんだ。』

「そんなことより、オルバンを殺したのは誰なんだよ!」

『知らん。苦しくなって、それきりだ。』

「はぁ?」

『ワシの死因なんざ、どうでもいいのさ。その【ステッキ】の使い方とブードゥー・ジャズについて少し教えよう。』

俺は自分の手に持った鉄製のスティックを確認した。

「【ステッキ】?魔法使いの?呪文はアブラカタブラでいいのか?」

『真面目に聞け、ディーン坊や。ブードゥーでも、ジャズだ。だから基本は何も変わらない。ソウルとグルーヴ。それに先人への【敬意(ロア)】だ。』

オルバンは虚空からウッドベースを取り出すと、誘うように2度、3度、2度、4度叩く。グルーヴが角立ち、セッションが始まる。俺はオルバンのベースに合わせて、スティック振る。

中空で何かに当たり、ポォン、と音がした。これはいい。

2人の音が混ざりながら、どんどんと熱を帯びて行く。

不意に、音が増えた。更に、更に、更に、更に…

『Good.Good boy…』

オルバンの笑い声が聞こえて、

俺は鉄火場のスタジオで、馬鹿みたいに鉄の棒を握りながら突っ立っていた。横を見れば実に残念ながら、ハッドのささやかな抵抗も虚しくデイジーの【ゲオルギイ】が放つ紫の煙が迫っている。

抵抗するハッドのプレイは命を燃やすようにケツに火が付いたファイアフライみたいに無様で惨めだが、しかしどこかに響く。ソウルを感じる。

俺は十字路でしたように鉄の【ステッキ】を中空へ振り下ろす。

「【ゲエデ】」

ポォン、とスティックが中空で跳ねると、音が爆発した。

ベースもドラムもギターもトランペットも、何ならボンゴだって。全てある。あの薄暗い十字路から溢れ出る、全ての音が一つに重なってグルーヴして洪水のように全てを押し流す。

その中で最高に輝くのは、ハッドのサックスだった。メロディがうねり、ブレスがカットする。魂の奥底に響く、死と生命の【ロア】。

これが、ブードゥー・ジャズだ。

「ふざけるな!!これは…!!」

デイジーを包む紫の煙は晴れた。彼女は明確な敵意と、渇望の目で俺と手に持った【ステッキ】を睨んでいる。

「それを、寄越せ、クソガキ!!」

デイジーは汚い言葉遣いと裏腹に、美しい高音と秩序だったメロディーの独唱を始め、超質量の圧と紫の煙が蘇る。

「お前が犯人だな、デイジー。」

「それが、何だ!お前が持ってやがったとはな!オルバンか!?あのクソ野郎め!ファザーの糞爺はもう死んだってのに!!」

デイジーはそう吐き捨てると、更に歌の音量を上げ、スタジオを破壊するほどの力を込めて、高く高く、歌い上げる。

「気をつけろディーン、【ゲオルギイ】は…!」

「…セントジョージ。」

ハッドは目を剥くと、そのままサックスを咥えた。もうひと踏ん張りだ。

セントジョージは竜殺しの伝説を持つ、最も有名な聖人の一人。その逸話は、竜に困る村に訪れ、竜を捕え引き連れて改宗を迫ったという、ちょっとそのまま受け入れる気にはならないエピソードがある。

つまり

ハッドの鋭いサックスが滑り込むように紫の煙を抜けていく。だがデイジーは竜に守られて狙えない。竜もデイジーも狙わない。だが、その竜とデイジーをつなぐ紐がある。姫でも竜を連れて歩けるほど従順に変える、首縄。

ぱん、と呆気ない音がして繋がりは切れた。

「あ」

デイジーは繋がりを切られてから、ようやく狙いに気づいたようで、短い声を発した。デイジーが浮いた。なにか叫んでいる。クソとかガキとか長ったらしい罵倒だ。続きは、多分、竜の腹の中で。

デイジーが咀嚼されて飲み込まれて完全に消え去ると、同時にスタジオにあった質量の圧も消える。綺麗サッパリ。後にはハリケーンを閉じ込めて一晩置いといた様な壊滅的なスタジオがあるのみだ。

俺が座り込むと、倒れてたハッドの頭が横にある。ほとんど瀕死の有様だ。

「あの女の何処が良かったんだよ。」

「女はな、悪ければ悪いほど良いんだ。」

(そうだ、息子よ…悪心ある女ほど良いものはない…)

『ディーン坊やも、いつか分かる。』

俺はため息をつくと支配人に叫ぶ。

「おい!救急車!!」

「警察は…警察は絶対ダメだ…絶対…」

「ああ、そうだったよな、駄目だもんな…」

俺はハッドに肩を貸すと、ノロノロ立ち上がって、誰も居ないスタジオを後にした。


【終わり】


















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