スカム・アイドル・ファッキン・スターライト
1
私が培養工場を出たのは午前零時前だった。
汗ばんだ密閉服を脱ぐと培養液の腐ったような不愉快な臭いをシャワー室で洗い流す。
とりとめのない会話を隣のミーシャがする。化粧品とか、ウィッグとか毛染めとかカラコンとか。
いつか整形したいとか、虚しくて笑えてくる話題だ。
「あんたは付けないの?」
「要らない。耳とか頭に何ついてても一緒。」
「や、名前。」
「…要らない。」
毒にも薬にもならないお決まりの会話で今日は終わり。
IDを通して会社から歩いて五分。猥雑な街はいつだって活気にあふれているし堕落を誘っている。
私も堕落したいし、たまにちょっと楽しむ分には堕落もいい。
『姉妹』の中には娼婦をやってる子達も多いらしい。私もふとソッチのほうが楽しいかも知れないと思ってしまう。
交差点は客の気を引こうとする彼女たちで溢れている。
派手な色に染めた髪を振り体の線のはっきりと出る蛍光色のラバードレスを纏った女性。
髪の黒と肌の白のコントラストが綺麗なランジェリー姿の六百型の女性。
私の胸ぐらいまでしか身長がない女性はとても口には出せない格好をしている。
「あら疲れた顔。お姉さん女の子に興味ない?『姉妹』のよしみで安くするわよ」
その中の一人、私と同じ顔をした街娼が声をかけてくる。
彼女と比べあまりに飾り気のない髪を横にふると彼女は残念そうに肩をすくめた。
交差点を抜けて地下鉄のホームへ降りるとうつむいた何人かの乗客が居た。
陰鬱とした酸っぱい疲労感の漂う空気がビルから吹く生ぬるい風を含んで眠気を誘う。
こうしていると私達はまるで廃液で暖められたゆりかごで眠る虫だ。
もしかしたら宇宙にはこことは違う楽園があるのだろうか?
月の都市にはカジノがあり、全ての苦痛を忘れさせる体験があるらしい。
火星にはリゾートビオトープがあり宇宙で一番自然が豊かだと言う。
もしくは交差点であの『姉妹』を買ったら本当に楽園に行けたかも知れない。
ふと、私と同じ顔をした女性がベンチに腰掛けたまま微動だにせず線路を見つめているのに気づく。
顔色には明確に疲れがあるが化粧品で上手に誤魔化され髪色はずっと私より明るい。
彼女と私が同じ『型』だとは気づかない人も居るかも知れない。
私達、七百十二型は比較的ポピュラーな量産人類の型だ。
きっと学校の同じ学年に数人ほど七百十二型が居たという人も多いと思う。
七百十二型は全体的にまとまっている。性格は温厚で比較的従順。知能や運動能力は平均より高くて美人だ。
私も七百十二型で割と良かったと思う。だが同じ顔が多いのは純粋に不便だ。
量産人類がもうすでに全人口の三割に到達しているらしいので、不便の解消もそのうちだろう。
同じ顔をしていない人間の方が少ない未来も遠くなさそうだ。
ベンチの『姉妹』に目を戻すと、線路の上を目がゆらゆらと走っている。
直感した。ああ、この『姉妹』は飛び込む。死にたがっている。
声をかけようとして、躊躇った。
死ねば、肉になって、タンパク質になって、アミノ酸になって。
前とはちょっと違う、こうはならなかった自分になって、もう少しはマシな人生になるんじゃないか?
もしかしたら美人で評判の六百型になれるかもしれない。
ちょっとやそっとでは疲れもしない百二型もいいかもしれない。
ああ、でも、高望みかも知れないけど、自然児に生まれたい。
何も決められず、誰でもなく、何でもなく、自分の意志によってのみ生きる人間に。
その時、
『みんなー!お疲れ様ー!』
不意にホームに設置されている広告看板に『アイドル』が映った。
駅のホームで俯いていた人たちが顔をあげ、生気を灯した顔にになる。
画面に映った少女は、この世のものとは思えないほど目に自信を溜め、まっすぐにこちらを見る。
その眼差しは「貴方を見ている」と直接脳に叩き込まれるように私を射抜く。
上下左右スキのない衣装。髪はポニーテール。
一見うるさいほど華美なリボンは、それでも彼女の魅力に負けて背景になっていた。
その佇まい。僅かに上る顎。揺れる手足。呼吸。まばたき。
全てが人を魅了するためにあるような存在。アイドル。
『今日は星野ヒカリ、ゲリラライブをしちゃいます!拍手!』
このホームでも、無数に並んだ上下左右のホームでも拍手と歓声が沸き起こる。
アイドルの中のアイドル、星野ヒカリ。
彼女は銀河系最高のアイドルであり、その出自も人格も全て謎に包まれている。
一説には特殊延命処置を受けるデザインヒューマンだとか
もっと言えば、メディア上にしか存在しない電脳プロダクトだという説もある。
『このライブは地球ユーラシア東の一部地域の限定配信だよ!楽しんでね!』
アイドルの歌が始まる。ゆりかごの虫たちを慰める子守唄が。
私の揺さぶられる心と裏腹に、芯では言い知れない恐怖を感じた。
私は陰謀論者じゃないし正気だ。でも、ふと、私達は彼女に飼われているのでは無いかと錯覚する。
私と同じ顔をした女は、星野ヒカリの歌を聴いて泣いていた。
死ななくてよかったと思うと同時に、私の陰鬱な夢想が破れたことに落胆も感じていた。
2
地下鉄ユーラシア線はリニアだから早い。私の居住スペースに着いたのは午前二時前。
ライブの虚脱感と高揚が合わさって、何も出来ないのに眠れない。
ソイバーをかじりながら部屋着で『七百十二ちゃんねる』を見る。
因みに七百十二型は噂話が大層好きで、番型ソーシャルで一番賑わっているのは七百十二ちゃんだ。
数が多いはずだが全くそういうのを好まない百二型は番型ソーシャルすら無いらしい。ちょっと怖い。
案の定、星野ヒカリのライブの話題で一杯だ。
動画も上がってるし公式もライブの声明を出してる。
いくつか動画を再生して、余韻に浸る。
だが私はアイドルに好意的な目線を向けていない。
まるで麻薬のようなそれは、私を蝕んで壊してしまう。
飾りのない無価値な七百十二型の私を。
もし私が地下鉄に飛び込んで、バラバラに壊れて、本当に無価値になって、アミノ酸になったら。
その時はきっとアイドルに生まれ変わってみたい。
でもそれまでは識別番号42Aが私。生まれた時に付与される量産人類の識別番号。
皆は早々に捨てて自分で自分に名前を付けるが私はしなかった。
同じ顔、似た性格、感覚も大体似てる。七百十二ちゃんを見れば趣味が似通ってるのが分かる。
これで私は誰かと違うなんて思っても無意味だ。私は量産された一人。
無価値で不愛想で飾り気のない42A。それが逆に私を私にしている。
浴びるようにアイドルの動画を見てステージの上で輝く彼女らを口先で罵る。
グリグリと胸を締め付けるものは嫉妬だと気づいているけど、もう少し気づかないふりがしたい。
64ZIPファイル?クソ古い。きっと歴史の教科書レベルだ。
こんなアイドル映像誰が見るんだ?
動画を再生すると案の定、荒い。そもそも2D表示だ。
映っているのは…
『私は星屑モモンガ。アイドル。君は誰?』
一人の女だ。アイドルとは違う。女。
美人であるが、人の領域を逸脱していない一人の人間。
彼女がアイドル?
「アンタなんかアイドルじゃない。」
私が動画を消そうとすると、動画内の彼女が枠からはみ出てスクリーンの☓マークを手で隠した。
彼女の手の上でポインタが閉じるを押そうとプルプルしている。
「は」
『君は誰?』
彼女は私のポインタをデコピンして画面端に飛ばすと、また聞いてきた。
彼女の笑みはアイドルのそれとは違い、生きて不格好で不完全で惹きつけられた。
思わず私は私を口にした。
「…42A」
『42A』
彼女が復唱した。
おかしい、この女は、アイドルは動画のはず。
『君の疑問に答えてあげよう、モモンガ様は優しいからね?』
『今、全てのメディアはアイドルが占拠している。』
『あの忌々しい星野ヒカリがね。』
『彼女は私からアイドル性を奪い、今の地位に居座る偽物のネオンサインだ。』
『アイドル量子論は知ってるね?知らない?西暦は!?』
『そんなバカな…』
彼女の表情はコロコロと移り変わり、見ていて飽きない。
だがそれ以上に彼女が何者か私は推測すら出来ずにいる。
『ああ、ごめん。疑問に答えよう。この時間軸は君の居る時間軸から二百五十年前の過去にあたる。』
『そして君と会話できているのは、アイドル量子論、つまり大衆がアイドルを観測した時に発生する力を利用している。』
『これで確定前の事象に干渉して私は今、不確定状態になっている。』
『これは私が銀河一のアイドルだから出来るすごいことなんだぞ。褒めろ。』
彼女の語り口調はどことなく高慢で粗雑で攻撃的でアイドルらしさの欠片もない。
でもアイドルだとその目が言っている。
何より彼女は自分で自分がアイドルだと定義しているのだ。その自負。力。臭い。生命力。
無味無臭の麻薬とは違う、生きたアイドルという存在の圧。
あの星野アカリは神が作った大理石の彫刻のように完璧だ。だが眼の前の女の荒い映像は、まるで燃える火のよう。
彼女という存在の味と感触と鼓動を否応なしに感じてしまう。
「あなたは、アイドルなのね。」
『そうさ。そして君も。』
思わぬ言葉に心臓が波打った。
『アイドル間量子通信は受け手にもアイドル性が必要なんだ。』
『アイドルはね、もっと自由で救われていて君達の手の中にあるものなんだよ。』
ドキドキして顔が赤い。
私はありふれた何者でもない飾り気のない七百十二型の一人。
アミノ酸の集まったタンパク質の塊の肉に名前がついた42A。
そして私を、誰かが見ている、アイドル。
「アイドル…」
『そうさ。あ、通信制限だ、アイドルパケットの問題で…あ』
ブツッと潰れるようなノイズを残して星屑モモンガは消えた。
「…」
私一人の部屋に汎用機の稼働音がブーンと響く。
どれだけ探しても彼女の痕跡は何も残っていなかった。動画も、通信記録も。
私は培養肉労働で疲れた体にアイドルのライブを浴びて、おかしな夢を見たのかも知れない。
そう思うことにした。もう寝よう。疲れてるんだから。
でも心の中で燃えるような命の気配だけは、消えないように布団の中でぎゅっと抱きしめた。