日本語がわからない
私は常日頃から言っています。
私には国語力がない。
物語に込めた作者の意図や登場人物の心情の理解ができない。
なんだそりゃ。そんな事があるのか。
そんな事がありました。学年でただ1人だけ作文のテストで最低評定Cをとってしまいました…全国学力テストで国語の偏差値40をとってしまいました…毎日日本語使ってるはずなのに、なんで?とずっと思っていたものです。
良い学校には通わせてもらいました。
なんなら、お金の限りを尽くしていい教育(しかも大学院まで!)を受けさせてもらったと今でも感謝しています。
ただ、どうしても国語の教科書に書かれていた日本語は私の脳ミソには浸透しませんでした。小説の一節を読んでも、情景は頭の中に浮かんで来ず、人の像を脳内に結ぶことすら叶いませんでした。
何故こんなことになったのかというと、思いつく原因の1つは、幼少期に、音楽以外のさまざまな娯楽や芸術に触れることが出来なかった事だと思います。
それもこれも、親の熱心な教育の賜物です。
芸術は娯楽だから悪。触れると人間は堕落を始める。そういう考えの親でした。
娯楽のかわりに買い与えられたのは漢字ドリル、計算ドリル、遂には大学生用の線形代数の専門書。
絵を見るのも描くのもダメ。
テレビを見るとバカになる。
お前は医者になるために勉強するんだから、こんなモノにかまけているだけ時間の無駄。
漫画?しょーもない、そんなもの、時間の無駄。
ゲーム?下らない、時間の無駄。(小学校6年生で不登校してた頃に唯一まともに触れたゲームがファイナルファンタジー10でした。この時の話は、またどこかで話そうと思います。)
その結果がこの「日本語を理解できない日本語つかい」です。不思議なものですよね。日頃から日本語を喋っているのに、どこか不自由な感じ。
悪い話だけではないです。
人並みよりは数字に強い人間になりました。
データを使った理詰めのプレゼンが、仕事における強みになりました(医者にはなりませんでした)。
私の不自由な日本語を「ワードセンスある」と評価してくれる人もできました。
友人達の流行りのドラマ映画漫画の話題についていけなかったことは、寂しかったし辛かったし、その点は親を恨んでいます。
でも、自分の尖った部分を受け入れて評価してくれる人(親も含めてね)がいてくれるから、この個性もそんなに悪くないなと思います。
親にもらった個性が光る私、すごい素敵やん。
魅力的やん。とどまるところを知らない私。
最強な気がしてきた。
明日も明るく元気に頑張れそうだ。
おやすみなさい。