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現実が粘土のように柔らかく不確かになる

私の現実は現在「預金通帳にお金があんまり入ってない」状態でして、

少しでも食費を浮かせるために、実家に帰った時に「田舎は物価が安いから」という理由をつけてスーパーでまとめ買いをしてるんだよね。

母と一緒に。

支払いはお母さんで!

私は親から経済的に自立していることが絶対的な「良い事」だとはしていないので、まあいいっちゃいいんですが、

その時は一向に変わらない現実が嫌気がさして、

あ~、こんなもん自分の金でサクッと買いてえよ!!

とイライラしてました。

でも、その直後に108さんや達人さん達のことが頭に浮かんで、

あれ、その記憶って本当にあったこと?

本当はこれ、自分のお金で買ったんじゃないの・・・?


ってふと思ったんです。

・・・それだけ聞くとやばい奴ですが!

実際、そう思いついた時の自分は目線が宙を彷徨っていたかもしれません 笑

でも、例えばイウォーク師匠なんかが言っている「現実様の奴隷にならない」とかも、これに通じるのかなって。

現に、私の目の前にあるのは実家の近くのスーパーで買った食料品なだけで、

それが誰のお金で買ったものかは、他人から見たら分かりませんよね。

そこに「親のお金で買った」という属性を付けているのは自分だけであって、

時間も空間も無く、一瞬前の記憶も今創られているのであれば、

それが「自分のお金で買った」可能性があってものいいのでは?!

と。

もちろん母に確認すれば「え、お母さんのお金で買ったでしょ(何言ってんの)?ほら、○○のカードに3000円チャージしてさ。」と、親が買ったという証拠はいくらでも出てくるでしょう。

でも、そんなことあえて聞かなければ、いくらでも自分の中にある可能性の世界で遊べるんだと思います。

ということで、私も

これは親に買ってもらったと思っているけど、本当にそうだっけ?
あれ、もしかしてこれ、私が買ったやつ・・・?
そういえば、母の○○カードに現金をチャージして・・・そのカードで買うと3%引きになるから・・・それでカードに残った分は母にあげたんだっけ・・・ん?

と、やっていたら、超合金くらいガチガチだった現実が粘土のように柔らかくなったような(この表現もイウォーク師匠がされてましたね)、不思議な感じがしました。

面白かったので暇なときにまたやってみようと思います^^

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