気分転換と心の充足は本当は関係が無い?!
先日、自分的には大きな真逆映像、真逆五感(?)が起こりまして、もう闇落ちしまくって外に出るのも怖く、1日中布団に引きこもってスマホの世界にエスケープしておりました。
あ、ちなみに真逆映像というのは、「自分の願望やあってほしい世界と真逆をいくような嫌な現実」という意味で、チケット板で見つけて面白い表現だったので使いました!
私の場合は体調も最悪だったので、映像だけでなく五感も願望と真逆だなあ、と思って「真逆五感」と言ってみたり。
って、そんな説明どうでもいっすね^^;
んで、私はもう落ち込むのが趣味、落ち込むのもエネルギーいるよね、よくそんなに落ち込むエネルギーあるね?
ここまで落ち込みに力を注げるって、もはや逆にエネルギッシュだよね?
というくらい、落ち込みの深さと持続力に自信(?)があるんですが。
そうやって一歩の家の外に出ることもなくダラダラと過ごし、次の日はそれでも何とか布団から這い出して、用事があったから外に出たんです。
そしたら、
やっぱり嫌々でも外に出ると爽やかだし、歩いているうちに気持ちも穏やかになって、苦しんでたこととも距離が置けて、なんだかいい感じになりました。
で。
今までだったら、こういうことがあると私は、
「やっぱり無理やりでも家から出て外の空気を吸った方がいいんだな。昨日は最後の方、もはや惰性でスマホを見続けて・・・ほんと、不毛な時間を過ごしてしまった。
そもそも漫画アプリで無料視聴のためにCM見続けるのって、やっててだんだん虚しくなってくるよな・・・しかも思わずダウンロードしたゲームが、CMと全然違う内容ってどゆこと?!
諸々の操作の合間に画面が一瞬暗くなった瞬間、少しでも節約したい自分の必死な顔が映るのマジ下がるんですけど?
・・・じゃなくて。ほらあれ!
考えずに体を動かすのが大事だと言うし、次からは最初から外に出るという選択をしよう!」
とか、色々「改善策」を考え、自分の行動に新たなルールを作ったりしてました。
うーん、でも、なんか。
今回は、
うん、「今は」気分がいいよね。
そしてそれは外に出て歩いた「から」気分が良くなったという風になっているけど、本当はそんなの関係ないんだ。
今気分がいい(充足)なのは、今気分がいい(充足)、だけであって、外に出たから、歩いたから、というのは後付けのつじつま合わせなのかもしれないなあ。
と。
(この考え方や言い回しはほぼt1さんの「ラーメンのたとえ」と同じなんですが^^;)
それと同様に、前日外に出られず惰性スマホしてしまったことも、
自由意志は無く因果関係も無いのだから、引きこもりスマホ以外の可能性は無かったし、さらにそれが悪い気分、すっきりしない体調と関係がある訳じゃないのかもなあ。
と感じました。
これについてはもう少し書きたい気もするけど、遅くなったので今日はもう寝ます。
(誰も読んでないのに報告する奴)