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ミニマルな逝きかた

こんにちは。

『片づけられない系minimalist』ゅぅです。

今日はこのコロナの状況下であえて“逝きかた”をテーマに

お話したいと思います。

日々、世界の人々の健康を願うわたし達ではありますが

それでも、いつかは皆平等にやってくる生涯の終わり。

決して目を背けるのではなく

深く向き合って考える大切なタイミングでもあると思い

綴らせていただきました。

祖父の旅立ち

4月2日、祖父が92歳で旅立ちました。

祖父は生前、自らお葬式の形式について

考え、想いを家族に伝えていました。

説明の前に思い出話に少しお付き合いくださいね。


祖父との最後の会話

祖父は、父方の祖父で、

父が生まれたあとの祖母の再婚相手です。

なので血縁関係はありません。

ですが自分の苗字はこの祖父のものでしたし、

本当の祖父とは会えたことはないので

わたしにとっては唯一の父方の祖父です。

祖父と最後に会ったのは今年のお正月。

認知症のために入所している

実家から徒歩5分もかからない場所にあるホームで会いました。

寒い日であまり調子が良くなく、食事をとっていた広間から

個室に戻った時のこと。

ベッドに入り、眠り際、

虚ろな目ではあったものの

わたしの手を祖父の大きな手で強くぎゅっと握って

「勉強しなさい。」

と、涙を流しながら話してくれました。

「後ろ指さされても、そんな奴のことは気にせんでええ。

勉強して誰よりも賢い女の子になって。」

わたしは、これから自分がチャレンジしようとしている

様々なことに

“どんどん挑戦しなさい、

そして生半可な気持ちではなく、

真剣にそれらのことを学んで行いなさい。”

と言ってくれているに違いない、と思いました。

そして祖父の手を握り返しながら

感謝の気持ちと約束を守ることを伝えました。

コロナウイルス感染予防策のため

2月以降はホームの面会謝絶、

そして容態が変わった祖父の入院先でも院内に立ち入ることは叶わず。

近くにいながら誰も祖父の最期に立ち会うことは許されませんでしたが

穏やかな顔で旅立っていったことが救いです。

祖父の肉体は終わりを遂げましたが

個人的には魂は生まれ変わっても存在しているという考えなので

寂しくないと言えば嘘になりますが

つらくはありません。

祖父のエピソード

祖父は豪快なところがあり、口も悪く(笑)、

幼い頃はすこーし恐い存在でしたが

大人になるにつれ男気がかっこいいなぁ

と思うようになりました。

特に先に旅立った祖母とのエピソードは印象的で

お酒が入ればいつも祖母のことを賢いと話し、

また生前入院中に、看護師さんの祖母に対する接し方に

見過ごせない部分があった際、

「俺の大切な婆さんになんてことしてくれるねん!」

とはっきり伝えたそうです。

祖母は長年、介護が必要となる状態でしたが

「尊敬する婆さんや。俺がやる。」

と最期まで介護を成し遂げた祖父。

そんな芯の強い素敵な祖父に掛けてもらった

“勉強しなさい”という言葉、約束。

わたしは守りたい。

祖父が自ら選択した旅立ちの方法

さて、思い出話をこちらで語るのはこの辺にしておいて。

祖父がどんな見送られ方を選択したのかをお話します。

シンプルなお別れの儀式に

【家族葬】などがありますが

近頃はさらにミニマルな形式を

取られる方が増えているそう。

祖父もその形を自ら生前に選択をしました。

それは【火葬式】という式です。

(【直葬式】という言い方もあるようですね。)

お通夜や告別式などは行わず、火葬のみ行います。

祖母が亡くなった時は

「立派な式で皆で見送ったってくれ。」

と言っていたのに

自身の式は家族だけで極シンプルな火葬式を、と。

やっぱり、かっこいい。

そして祖父の希望通りの火葬式を行いました。

火葬式に参列した

初めて火葬式に参列しましたが

家族で旅立ちの装束を整えたり、

用意した祖父の好きなお花を並べたり

お別れの時間は充分にありました。

火葬の後は

遺影と位牌とお骨をいただいて火葬式は終了です。

本当にシンプルかつミニマル。

でもそこにちゃんと愛情はあって。

いつも一緒に祖父と過ごしていた

おなじみのメンバー(家族)で

ゆっくり笑顔で思い出話もしながらお見送りができ、

皆で「良い時間が過ごせたね。」と言えるような

穏やかな時間となりました。

自身はこう逝きたい


ちなみにわたしは自分が死んだら

「お葬式は行わず、散骨してほしい。」

と、今から伝えてあります。

(まだパートナーから了承は得られていませんが…)

理由は

形式ばったことが苦手、

そして知らない人と

お墓に入る、ということが

全くピンと来ないからです。

これから時代が進むにつれ

お墓に対する考え方が多様化され、

個人(故人)の希望が認められることを望みます。

お葬式だってもっと多様化するかもしれませんね。

(既に【宇宙葬】なんてのも登場しているとか!)


死について丁寧に考える


冒頭に書いたように

今回のコロナウイルスが “死” というものに

フォーカスするきっかけもくれている気がしています。

決してコロナを悲観的に受け止めるという意味では無く、

この機会に、やがて誰もが経験する

“肉体の終わり” についてあらためて丁寧に考えてみるのもいいなと思っています。

そしてわたしは

この肉体を終える時も、

生きている今と変わらず心地いい選択をしたい。

と思っています。


今日も最後までお読みくださりありがとうございました。

愛を込めて。

ゅぅ

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