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感謝の見返り。
連日うだるような暑さですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は炎天下の中を全力で愛車をこいでいます。
今日も朝から仕事の案内を見たり、履歴書や職務経歴書を送ったりとしましたが、どこからも何の反応もありませんでした。最近、水瓶座の動画でこれから吉報が届くというようなメッセージもあまり信じることができなくて、最後まで見ることが少し億劫になってきています。こんな精神状態なので、今日の朝ドラの主人公の「あなたの力になりたい。」という言葉が私にとってはとても空虚に聞こえてしまったのです。私はこれまで大学教員時代も含め多くの人たちの幸せに貢献してきたという自負があります。実際に客観的に見ても、その人の人生の進路が大きく変わったと思われる人も数知れずです。そして、感謝の言葉もシャワーのように浴びてきました。
ところが、苦しい時期がずっと続く今の私に救いの手を差し伸べてくれる人は誰もいません。もちろん見守ってくれる人や励ましてくれる人はいます。しかし、朝ドラの主人公のように、私が今必要としている支援をしてくれる人は残念ながらいないと思っています。もしかすると私が気づいていないだけなのかもしれませんが。
以前とある人から「感謝の見返りを求めてはいけないよ。」と諭されたことがあります。あくまでも感謝はその場限りのもので、その後の見返りを求めて感謝することは真の感謝ではないと。でも、苦しい時はついつい感謝の見返りを求めがちです。鬼滅の刃でも「せめてありがとうという言葉がほしかった。」と岩柱の悲鳴嶼行冥の願いも今の私にとても刺さるシーンでした。
一体私にどこまでこの苦行に耐えろと言うのかと、空に向かって叫びたくなります。そんなに私は悪いことをしたのかと。とあるオーナーからは「きっとこの時のことを笑って話せる日がくるよ。」と毎日励ましてもらっていますが、それでも雑草のように余計な感情がどんどん伸びてきてしまいます。やっぱり人間頼れるのは自分だけなのでしょうか。自分しか頼れないから他の人は信用しないというロジックを完成させたくないと気持ちがあるのですが、だんだんとそのロジックが正しいと証明されつつあるのが何とも歯痒いですね。何とか違う筋道を模索し続けるために、今日一日を全力で生きるしかないという結論に毎回達する今日この頃です。
これから大学教員になる人は、苦しんでいる人に自然と救いの手を差し伸べられる人になってほしいと思います。そして、自分と自分が大切に思う人がお互いに助け合って生きていける日を一日でも長く続くように、私も今できることに取り組んでいきます。
(久しぶりにキャプテン翼を見て熱くなった元准教授でした。ボールは友達だよね?)