許しについて
今回は、
「許せない気持ち」
について書いてみようかと思います。
今日からラマダーンですからね、許しは大事なテーマです。
身近な人に言われたことや、やられたことで
「絶対に許せない!」という思いを持っている人は、、、
いませんか?
「なんであんなことを言ったんだ?」
「なんであんなことをしたんだ?」
「ひどいじゃあないか」
「許せない!」
といった感じの気持ちですね。
実は私は、10年近くもそんな気持ちをずーっと持ちながら生きていました。
頭では「こういった怒りの気持ちを持ち続けるのは良くない!」と分かっていても
時々何かの拍子に昔のことを思い出しては、苦々しい思いをしていたわけです。
何度も「もう許さなきゃ」とか「もう忘れよう」とかと思いながらも、
なかなか忘れることなんできませんし
ましてや「許す」なんて、、、、。
現在発売中の電子書籍
『神様に一番近い人の頭の中身』
の中にも、この”許す”ことをテーマにした章があります。
すこーしだけ、引用してみましょう。
(主人公、樹里とアハメッドさんの会話です)
「嫌な事をされた相手を許さないって云う選択肢はないんですか。
この世の中、絶対に許せない事ってあると思うんですけど。
例えば、自分の家族を殺された人とかいるでしょう?
そんなの絶対に許せないじゃないですか。
許せば許されるなんて。
許されなくっていいから、許したくないって気持ち分かります?」
アハメッドさんには、そんな人の気持ちなんか分からないだろうなあと思ったから、
そう言ってやった。
すると、彼はこんなことを言った。
「神様って、何もかも見ていて、何もかも知っているんだよ。
警察や世間の目から逃げられても、神様の目からは絶対に逃げられない。
だから、悪い事をしたやつの事なんて、神様に任せておけばいい。
悪い事をした人には、神様がそれ相応の事をしておいてくれるんだから。
それよりも、自分は自分の人生を、心軽く生きていた方がいいと思う。
恨みつらみは、心を重くするだけでなく、自分の大事な人生を暗くしてしまう。
そんなのもったいないよ。」
アハメッドさんの言うことが正しければ、
神様は全てを見て知っているわけだ。
あいつが何をしたのか、逐一見て知っている。
そしてそれに対し、何かをしてくれるらしい。
本当に神様がいつか何とかしてくれるの?
あいつが言ったこと、あいつのやった事、全てに対し、それ相応の対応をしてくれるの?
「神様に任せておくんですか。」
「そうなんだよ。
悪い事をしていて、良い人生なんて送れるわけないんだよ。
必ず、自分のしたことに対する報復っていうのがある。」
「そんなものでしょうか。
世の中には、悪い事をしていても楽しそうな人生を歩んでいるような人っていっぱいいますけど。」
「世界を見ると、全く罪のない人達が差別を受けたり、暴力を振るわれたり、
または迫害に合ったりすることってあるでしょ。
被害にあっている人達っていうのは、本当にかわいそうだよ。
でもね、本当にかわいそうなのは、加害者の方なんだ。
神様はものすごく優しい方なんだけど、悪人に対しては、非常に厳しい。
この地上で悪を行う人は、神様を敵に回しているんだ。
神様が敵になっていて、なんかいい事あると思う?
『アッラーは不義を行う者をお好みにならない。』
(クルアーン 3:57)
今、いい気になって、誰かを不幸にしている人って世界中にはたくさんいる。
その人達には、全然神様からのお咎めなんてないように見えるかもしれない。
やりたい放題にしているようにも見えるかもしれない。
でも、実はそれってかなり危険な事なんだよ。
例えてみれば、長い長い綱につながれている犬のようなもの。
犬は、まさか自分が長い綱につながれているとも思わないから、思いっきり走る。
ドンドン走る。
でも、どこまでも無限に走ることはできない、だって繋がっているんだから。
そして、早く走れば走るほど、綱によって引き戻される力も強くなるわけじゃない。
いつか、その綱の引き戻しっていうのが、その人達の人生にあるはずなんだ。
もし、この世において、何のお咎めがなかったとしても、
死んでから必ず必ず、そのやったことに対する報復がある。
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人を許すって、ちょっとした
事実を知るだけで、結構簡単にできちゃいます。
どんな事実か?!
第1の事実!!
誰かに対する憎しみ、怒り、許せなさ、といったネガティブな感情。
これらを大事に大事に心の中で育てて喜ぶのは、
他の誰でもない、、、、悪魔です。
悪魔、アラビア語でシャイターンと呼びますが、
悪魔というのは、実際に存在していて人間にとっての公然の敵であると神様はおっしゃっています。
『本当にシャイターンはあなた方の敵である。
だから敵として扱え。』(クルアーン35:6)
『人々よ、地上にあるもののうち、良い合法なものを食べて
悪魔の歩みに従ってはならない。
本当に彼は、あなた方にとって公然の敵である。』
(クルアーン2:168)
私たちが誰かのことを「許せない!」と思った瞬間、
「ヤッホー、いいぞお!」と喜ぶのは、人間の公然の敵である悪魔です。
悪魔は、私たち人間にイヤーな気持ちを常に持ってもらって
不幸せでいてもらいたいのです。
自分が怒り、イラつき、不幸になっているその間
悪魔はヤッター、ヤッターと喜んでいる。
そして、その感情をずーっとずーっと引きずって生きていってもらいたがっている。
ずーっと不幸でいてもらいたがっている、、、
わけですよ。
たった一回しかない大事な一生ですよ。
悪魔を喜ばせるために使ってしまってはもったいないではないですか。
私たちが喜ばせるべき対象は、神様だけ。
決して悪魔ではありません。
悪魔が私たちに、ずーっと不幸せでいてもらいたいのに対し、
神様は私たちに、幸せな人生を歩んでもらいたいのです。
そのために「道」を示してくれたわけです。
その道から外れないようにしないと!!
第2の事実!!
人を憎み、許せないと思い続ける事は、
あたかも
「自分が毒を飲んで、相手が死ぬことを願うようなもの」
だということです。
人を憎み続けること、
それは毎日毎日、毒を飲むようなものです。
自分を害しているだけなんです。
そして、その自分が毎日せっせと飲んでいる毒でもって
相手は死ななければ、傷つくこともありません。
まあ、
別に”死”まで願っているわけではないのですが、
これまた、もったいないではないですか。
たった一度きりの人生を毒を飲んで暮らすなんて!
ということで、、、
私は目覚めました。
もう止めようと!
アルハムドリッラー!(神様に感謝します!)
一度”許せない気持ち”を手放してしまうと
不思議なもので
「もしかしたら、あの時はあの人も疲れていたのかも」とか
「あの人も辛かったのかも」
なーんて、思えるようにまでなりました。
つらーいつらーい過去を ”許す” というのは、
そんなに簡単なことではないでしょう。
しかし、
それが「天国へ続く道」を歩くことにつながります。
幸せへの第一歩です。
この人生において、何が大事かって(私が思うに)
それは、神様からの「お許しとご慈悲」この2つだと思うのです。
神様のお許し、、、
これがなかったら、誰一人天国なんて入れないでしょう。
何しろ、人間は完璧にはできていませんから。
ついつい変なこと、間違ったことをしてしまう生き物です。
ゆえに、神様に(常に)許してもらわなければならない存在なわけです。
人を許せば、神様は私たちをもっともっと許してくれます。
だから誰のためでもない
自分自身のために
許して、許して、
前に進んで行けたら、と思います。
今日もお付き合いいただきましてありがとうございました。
みなさまに神様からの祝福がたくさんありますように!
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