10歳の誕生日
私は幼い頃ひどい喘息の発作で倒れ入院していたことがある。
記憶にあるのはビニールで囲われぼんやり歪んでしか見えない家族やお医者さんの色と、ビニールの隙間から黒くて細長い缶のハイシーオレンジを持った手が侵入してきたこと。
少し薄暗く感じる部屋に2台のベッドがあって私と、隣のベッドには同じ年くらいの男の子が寝ていたこと。
入院最後の日のお昼ご飯にデラウェアが出たこと。
入院最後の日に小さな売店で販売されていたキャンディキャンディの絵本を買い与えられたこと。
親に聞くと三歳の頃のお話しらしい。
そして男の子と二人部屋だったのは私の意識は朦朧としていた時だったらしい。
「この子は二十歳まで生きられないかもしれない」
そんな呪いのような言葉を両親はどんの気持ちで聞いたのか想像したくない。
ありがたいことに順調に成長はするのだがそれでも1年に三度程はかなり大きめの発作を起こす子供だった。
人生は落下だ
高校生になった私はやりたいことやなりたい自分を好き勝手描いてはニヤニヤ過ごしていた。
今思えばあんなに現実逃避に没頭していた時期は他にないかもしれない。
毎日毎日自分自身になにをしたい?なにをして笑いたい?と問いかけていた。
そんな時ふと思う。
私にはごくごく短い限られた時間しかないのではないか。
「目標に向かって一歩一歩階段を昇っていこう!」、、、?しっくり来ないな、、
もしかして私は生まれたと同時に空の高い高いところから落ち続けているのではないか?
広い地上のなか、目標という小さな小さな着地点に降り立つには今この瞬間も軌道修正が必要なのではないか?
そんな思い込みが自分自身という命を楽しみ尽くしてやろうと思い始めたきっかけだった。
閏年にうまれて
高校を卒業後すぐ上京をした。
幸い沢山の面白いお友達との出会いに恵まれ4年に1度しかない私のお誕生日はお友達にとってかっこうのお祭りとなった。
とてもありがたいことだ。。
4年に1年、ライブハウスやクラブを貸し切り私が見たいアーティスト、私がお友達に見せたいアーティストを呼んだ。アーティスト名を伏せてシークレットで出演して頂く為にその日限りのユニット名を考えたり考えてもらうのはとても楽しかった。
その頃の私が一番楽しみにしていたのは40歳の節目だ。
28歳くらいの頃描いていた「10歳生誕祭」は日比谷の野音を貸し切り40組のアーティストに出てもらうぞ!昼間から寒空の下色んなアーティストにセッションしてもらって最後はステージでなにかを大合唱するぞ!なんの歌が良いかな、誰を呼ぼうかな?
とてもワクワクしていた。
間もなく私は40歳を迎える。
二十歳まで生きられないかもしれないと言われた私の10回目の誕生日。
私はいま北海道旭川市にいる。
旭川でもやっちゃおう
いつの間にかシングルマザーになった私は旭川に住み始めて5年が経った。
ありがたいことにこちらでも音楽に触れた生活を送る人脈ができてきた。
あの頃描いた夢、東京でパーティーをするのも良いけれど同じことを旭川でやったらどうなるかな?
もちろん、私が東京に行けば交通費は抑えられる。アーティストへのギャラも確保できるかもしれない。
でも、きっとこのイベントを今旭川で出来るのは私しか居ないかもしれない。
やるか、、、!
そんなこんなで2020年2月29日
旭川CASINO★DRIVEにてイベントをやっちゃいます。
私が見たいアーティスト、私が見せたいアーティストを東京からと京都から旭川に呼びます。
といっても私はごくごく普通の一般人。
シングルマザー頑張って働いてはいるけどそんなセレブのパーティーみたいなことをやる余裕など本当は、、、
そこでアーティストの交通費や宿泊費のクラウドファンディングを立ち上げようかと思います。
旭川で今までなかったであろうセッションイベントをやるということに少しでもワクワクしてくれる人が居たら投げ銭お願いします。
polcaで企画を立てました! https://polca.jp/projects/qGAQGVG30wU #polca @polca_jp より
やりたいことをやり尽くす為の準備をやり続ける
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