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自分を活かす第一歩。努力至上主義からの脱却


私も30代前半に突入し、仕事では若手から中堅に以降して、仕事を任せられる機会が増えてきました。


それはそれでありがたいのですが、疲れますね。年齢的に回復しづらくなってきました。


特に内向型で体力がなく、仕事で疲れやすい自分に嫌気が差していました。


20代の頃は土日に行動する体力がなくて、人生それでいいの?って自己嫌悪に陥っていました。


内向型の良さは理解し始めた頃だったけど、特に体力がないのは致命的でデメリット大きすぎる・・・


そんなことばかり思っていました。


ですが、自分の手札で人生生きることを意識すると、少し気持ちが楽になりました。


自分の手札で生きるとは?


簡単にいうと、自分にないものを嘆いても仕方がないので、自分が持っている能力や知識、性格や特性を受け入れて、生きることです。


自分にないものを持っている人って羨ましいですよね。でも、憧れても仕方ない。


八木仁平さんはよく言及しています。


自分の特性を活かす大切さが理解できたのも、仁平さんのYouTubeや本を見るようになってからです。


ですが、個人的に、努力主義な考えから脱却できるようになったことが1番大きいです。


今までは、自分が出来ないことについて、自身の努力や経験、工夫が不足しているからだと考えていましたが、そうとも限らないのではと思えるように。

努力至上主義からの脱却


私のエピソードですが、勉強については人並み以上に努力して、それなりの学歴を残せたかなと自負しています。


中学生時が成績のピークで、高校時は部活中心で、勉強を疎かにし、大学受験は全然思うようにはいきませんでしたが、それを加味しても、人並み以上の努力と成果を出せたかなと思います。


それは、自身が努力を積み重ねてきたからだと信じて疑いませんでした。


ですが、最近色んな方の考えにふれることにつれ、「たまたま自分は幼少期に勉強につまづいたら教えてくれる親の元に生まれたこと。」これが圧倒的な要因で、それに比べたら自身の努力量なんて、結果の要因としてわずかでは?と思うようになりました。


よくよく考えてみると、勉強どころではない環境に生まれ育った子もいるはず。


虐待や貧乏、勉強するなんて選択肢すらない家庭環境にある子に比べたら、私は勉強できる環境に生まれたこと。


これが成果を出せた1番の要因で、自身の努力量はプラスアルファぐらいでしかないのかなと。


個人的に、要因の割合として、環境:自身の努力=8:2ぐらいだったのかなと思っています。


要するに、人生割と環境やら運に左右されがちで、その中でどう自分の手札を使って生きていくかにフォーカスして、生きるのが大切だと考えるようになりました。


運や環境やらで悪かったら、どうしようもないから諦めるってことでは決してなく、運や環境による部分は大きい。


でも、残りの自分の頑張りで変えられる余白はせめて自分なりに頑張っていこうと思えるようになりました。


そうすると、人を見る目も変わりました。


今までは、自分が簡単に出来ることについて、出来ない人を見ると、その人は努力が足りない。と決めつけていましたが、その人はその人なりに努力はしているのかもしれない。


単に、その能力だったり、資質を磨く機会に恵まれなかった可能性もあるよなって思います。


仕事だと、上司ガチャ、同僚ガチャ、先輩ガチャ、配属ガチャ・・


ガチャって言葉は賛否両論です。


それはさておき、個人的に私が今お話している内容を端的に表現した言葉だと感じています。


自分の努力不足が原因だと必要以上にせめないこと


もしかしたら、あなたが悩んでいることは、あなたの努力不足ではないかもしれません。


必要以上に自身を責めないこと。自身が持っている手札で今後どう生きていくかを私なりにもっと追求したいです。


体力がないなりに、私に合った人生戦略があるはず。


どうしてもつらければ、努力が及ばなかったわけではない、環境のせいにしてもいい。その環境から逃げることも大切だなって思います。


世に蔓延る努力主義。世の中を生きづらいものにしている一つの要因と感じています。