第0030撃「[ジャンプ放送局]竜王は生きていた!!」の巻

おはこんばんにち和、
ご無沙汰しています。
メタです。

すぐに読める読み物です。
いつも拙文をお読みくださり、
誠にありがとうございます。
嬉しいです!
◝(⑅•ᴗ•⑅)◜
(人名や場所名が登場する際は仮名にする場合があります)

平成2年1990年、6月、中学2年1学期。
小生は週刊少年ジャンプを毎週欠かさず購入していました。
登校前に自宅マンションの坂をくだって、
小さな歩道を渡ったローソンで買うこともあれば、
放課後に芝嶋中学の裏門を出てすぐのコンビニで、
500mLの紙パックのジュースと一緒に買って、
写真部の部室で多坂や甲村とだらだら話しながら、
ドラゴンボールから読みはじめるのでした。

ジャンプで楽しみにしているコーナーがありました。
巻末の「ジャンプ放送局」です。
これは読者がユーモアのきいたネタを描いた葉書を投稿し、
編集部で採用されると巻末の紙面に印刷されるわけです。
その読者のなかでひときわ才能を光らせていたのが、
「竜王は生きていた」というハンドルネームの人でした。
この人は毎週のようにトップ採用され、
すでに一度は優勝経験があるのでした。
小生は竜王さんのギャグのセンスに影響をうけ憧れ、
多坂や甲村たちには内緒で密かに葉書を送り始めました。

毎回不採用が続きそのたびにガッカリするのでした。
しかし実は一度だけ採用されたことがあったのです。
末端のはしっこのような形です。
得点でいえば3点または1点くらいなものです。
それでも紙面に掲載されたというのは喜びもひとしおで、
そのときは多坂や甲村はおろか写真部の渡瀬部長にも自慢し、
家に帰ると母や祖母にももちろん報告するもとくに褒められもせず、
愛犬のぺるはというと、
「んー?」という眼差しでしばらく小生を見つめたあと、
嬉しそうに小生の顔をぺろぺろと舐めてくれるのでした。

その後、ジャンプの紙面に載ることはなく、
小生は次第に飽きてしまって投稿しなくなり、
ジャンプの一読者に戻ってしまいました。

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懐かCMを観る1990年(12)6月

懐かCMを観る1990年(13)6月

続く。果てしなく続く……。


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昭和50年代に大阪市に生まれた男が描く、 すぐに読めるライトエッセイ(軽い読み物)を お楽しみいただけると幸いです。 平成時代の穏やかな…

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