9話 愛人の記憶
私が小さい頃は、親のけんかが絶えなかったように思えた。
思えただけで、実際の頻度はあまり覚えていない。
親はなるべく私たちにけんかを見せないようにはしていた。
私たちが眠ってから、バトルをするのだ。
けんかがヒートアップすると声も大きくなり、物も飛ぶ。
私はその物音で目が覚める。
気が付くと、妹たちも目を覚ましている。
「何しているのかな?」はーちゃんが言う。
「……寝ようよ」と、言ってみるものの無視できる大きさの音でもない。
そうっとリビングをのぞいてみると、案の定、バトルを繰り広げている。
「誤解だって!! 何でもないんだ」
父がそうやって、身を防いでいる。
「何が誤解だって?あの女は誰よ?」
母は怒り心頭で手も付けられない。あちこちにあるものを投げつける。
母の手が止まる。私たちに気が付いたからだ。
「何、見ているの。さっさと寝なさい」
母が眠る前に絵本を読んでくれたり、一緒に布団に入ったりした記憶はない。
いつも「おやすみ」と言って、私たちだけが先に布団に入るのだ。
そして、それはこんなけんかの時もそうだ。
一応、子供たちには見せたくないから、手は止まる。
寝かしつけるなんて事はしない。「寝なさい」で終わりだ。
「でも……」
思わず何か言いそうになる言葉は、あっという間に踏みつけられる。
「寝ろって言っているの。わかんないの?」
父は何も言わない。何かを言えば、火に油を注ぐからだ。
妹たちはそそくさと布団に戻る。
私は不安でその場に最後まで残ってしまう。
「早く寝ろ!!」
クッションが飛んできて、私も布団へと戻る。
そして、バトルの音が再開される。
翌朝は何事もなかったかのように、いつもの朝が始まる。
そして、やっと私は安心する。
小さな頃、母が私と妹たちを連れて、どこかの家に向かった記憶がある。
母の両手に妹たち。私はその後をついて行く。
どこへ行くのか分からなかった。
いつものスーパーでもない。おばあちゃんや従姉妹たちの家でもない。
そこは知らない場所だった。
母は、とある家を、ただ睨んでいた。
もしかしたら「どこへ行くの?」と聞いたのかもしれないが、母が無言だった事しか覚えていない。
後から、「あんた達が小さい頃、あんたたちを連れて、愛人の家に行こうとしたことがある」と母から聞いた。
曖昧な記憶と母の言葉がつながった。
あの家の記憶は、『父の愛人の家に向かう母の姿』だったのだと分かった。
父の浮気は私たちが小さな頃は、秘密にされていた。
父と母のけんかで何となく感じてはいたが、意味はあまりはっきりと理解していなかった。
理解できるようになったのは小学生になってからだ。
小学3・4年の頃にははっきりと理解したし、母も私に父の愚痴を零すようになっていた。
わたしへ愚痴をこぼすことで、親の喧嘩は減った。
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