4話 保育園の話
母は私とほっちゃんを保育園に入れた。
初めての保育園で私は大泣きしたらしい。
もちろん、覚えていない。
しかく先生が私を抱っこして、連れて行ってくれたそうだ。
私の記憶にある保育園の一日はこんなものだった。
毎朝クズリながら着替えて、車に乗って、保育園に着く。
母の手は片方に妹、片方に荷物。私は一人で歩く。
布団がある時は、自分の布団は自分でなるべく持っていたような気がするが、たぶんあれは年長さんぐらいだったのかもしれない。
先生のあいさつを聞き流して、無言で靴箱に靴を入れる。
手提げなどを定位置に引っかけてから、教室の雑音にウンザリしながら、出席シールを張る。
カバンをロッカーに入れる。
そして、邪魔にならない壁際に背を預けてじっとしている。
先生が来たら、朝の会が始まる。
それから園庭で遊んだり、教室内で折り紙や粘土をしたりする。
園庭で遊ぶ時は、壁とお友達になる。
教室内で何かを作る時は無言で作る。
絵本の読み聞かせは、自分の座る位置をどこにしたらいいのか分からなくて、立ち尽くす。
周りが座ったのを見計らって、一番人と距離を取れる場所を考えて座る。
お昼寝の時間は天井とにらめっこ。時々、うっかり寝るが、大抵の場合は起きている。
先生に気が付かれて、先生が傍に居るとますます眠れなくなる。
給食の牛乳は飲まない。
おやつのミルクは甘くて飲めたのが、今から考えると不思議だった。
帰りの会の前には先生が連絡帳を配る。
そして、一人一人の様子を確認する。
母が来て、帰る。
そんな感じだったと思う。
私が3歳の頃の先生は、『きょう先生』だった。
当時、人気だった恐竜をモチーフにしたキャラクターに似ているとずっと思っていた。
そしてなぜか、あのキャラクターの中に先生が入っているんだ……とぼんやりと思っていた。
そんな訳はないのだが、恐竜のキャラクターと先生がつながっているように感じられたのだ。
黄緑色の似合う少しふっくらした先生だった。
怒鳴ったり叱ったりしない、いつもニコニコしているイメージの先生。
イメージなので、実際は違ったかもしれない。
他の先生たちはあまり好きではなかったが、きょう先生だけは別だった。
ホワンとした雰囲気で、こちらまでホワンとした気分になる感じがした。
近くに寄って懐いたことはないけれど、わざわざ距離を取ろうと離れる様な事もしない。
具体的にこんな事があったというような記憶はないけれど、とにかく保育園の中で一番好きな先生だった。
4歳児クラスも『きょう先生』だった。
ホッとした。他の先生に変わってしまう事は嫌だった。
教室は変わった。隣へと移ったのだ。
これにはがっかりした。
なぜなら、3歳児クラスの教室からは迎えに来る母親の姿が見えたからだ。
私はいつも窓から外をジッと見て、母が来るのを待っていた。
それが4歳児クラスの教室では出来なくなったことに、ショックを受けた。
5歳児クラスは最悪だった。
『しかく先生』に変わったのだ。
背が高くて、四角い顔の先生だった。
この『しかく先生』は私が一番嫌いだと思っていた先生だった。
近づきたくない先生と言ってもいい。
そんな感じなので、5歳の時は常にピリピリした感じがまとわりついていた。
保育園に行って真っ先に思うのは『早く帰りたい』しかなかった。
そして、やはりこのクラスも迎えに来る母親の姿が見えない。
5歳児後半はワークブックのようなものが配られて、学習の時間が設けられた。
私にとってはこれが楽しくて仕方なかった。
一人で黙々と問題を解けばいいのである。誰にも邪魔されることもない。
「遊んでもいいし、ワークブックでもいいよ」と言われた時間は、『ワークブック』を選んで黙々とやっていた。
余談だが、私が保育園に入るころは条件が厳しかった。
入りたい人たちが多かったからだ。けれども、弟が保育園に入るころの条件はいくらか緩和されていた。
子供が減ったせいだと思う。
今では保育園そのものが消滅しかけている。
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