自分自身の不幸の定義
こんな家に産まれたからわたしは不幸だ
この両親じゃ幸せになれない
お金がないからずっと不幸だ
この結婚ではわたしは幸せになれるはずがない
自由がないから不幸
子供が思い通りに育たないから不幸だ
欲しいものが買えないわたしは不幸だ
だからわたしは幸せになれるはずがないと強く念じて生きている自分。
不幸探しの天才か❗️というほどいくらでも出てくるし、
不幸のネタ探しは無限大。
ホントか?
素朴な疑問がふと頭に浮かんだ。
ホントに決まってんじゃん❗️
と頭の中で即答。
だけどもやっぱり疑問が湧いてくる。
例えば、
何もない砂漠に産まれたからと言って、不幸なわけじゃないし、
ジャングルの中で生まれ育って、自然に囲まれて生きている人が不幸ってことはない。
暑い寒いや、いろんな自然環境があるけれど、
それによって幸不幸が決まるわけでもない。
自分自身の受け止め方の問題でしかない。
親がいない人もいる、いるけど毒親という人もいる。
親だけじゃなくて、周りの大人や先生や、様々な人が関わって生きて来たけど、完璧な環境なんてありえない。
自分の望む完璧な環境じゃないと、わたしは不幸なんだろうか?
幸せにはなれないのだろうか?
不幸ネタ探しを続ける人生を、自ら選んでいただけかもね?
それなら
「反対をやってみたらどう」
今度はそんな事が頭に浮かんだ。
不幸ネタ探しのプロから、幸せネタ探しのプロになったら、どんな気持ちになる?
それはまだわからないけど、やってみる価値はありそうだね。
全ての事に感謝なんて境地にはとてもなれない捻くれ者だけど、
不幸ネタと同じくらいありそうな
幸せネタを探してみるのも案外いいかも!なんて急に思いついた朝のつぶやきでした。