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最後の人生とは!

定年退職した老後の人生を第二の人生と呼ぶが、私は最後の人生だと思って生きている。
第三の人生がある訳でもないのになぜ第二の人生なのだろうと屁理屈を言いたい訳ではない。
もう後がない人生だから最後の人生だと思って生きているだけだ。
「最後の人生」というキーワードで検索しても、ヒットする記事が見当たらないほど使わない言葉なのだろう。
しかし敢えて「最後の人生」にこだわるのはそれだけ強い思いがあるからだ。


人生は儚い、そして儚いからこそ人生は尊い!

私が初めて就職をした頃、まだ祖父が生きていた。
私が家の前に中古で買った車を置いているところへ、祖父が農機具の操作を誤ってぶつけたことがある。
頑固だった祖父は私に謝らなかった。
おそらく自分のミスも認めたくなかったのだろう。
しかし私も祖父を責めることはしなかった。

祖父との思い出は遠い昔ではない

その頃の祖父は今の私と同じ年齢だった。
疑う余地もないおじいちゃんだ。
それから約半世紀経過した。

自分が祖父の歳になることなど想像することもなかった。
しかし今振り返ったとしてもそんなに遠い昔などではない。

半世紀などと言って経過した時間を想像すれば短くはないが、その半世紀も過ぎてしまえば「あっ」という間の時間だったということは誰の認識であろうと同じことだろう。

子どものころ祖父と山に行ったことがある。
祖父は松茸採りの名人だった。
その時の山の匂いは今も記憶に残っている。
久しく食べていない松茸の匂いは忘れたが、山の匂いなのか松の匂いなのかハッキリしない記憶は唯々懐かしい。

まだ道も舗装されていなかった当時、家から離れた畑で祖父の作業を見ていた風景も記憶に残っている。
畑の隅にあった柿の木と土の匂い、晩秋の夕暮れの空の色が変わっていく光景が目に焼き付いている。

祖父は70代半ばで亡くなった。
その歳までもう10年も残っていない。

黄金の15年は長くはない

概ね60歳からの15年を黄金の15年と呼ぶ人がいる。
これも個人差は大きい。
黄金の15年が手に入る人の条件は自由と健康などが整った人たちだ。

できれば誰にもこの年代を黄金と言えるものにしてほしいが、ちょうどこの年代は親の介護や老化による健康不安などが重なって苦しむ人も少なくない。
60歳から15年という期間は60歳で定年退職して自由を得てから、70代で健康寿命を全うするまでの時間なのだろう。

もし運よく条件が揃ったとしてもたった15年という期間だ。
この15年は長いと思えるだろうか。
その年代にいる私には到底長いと思える期間ではない。

何度考えてもたった15年だ。

これまでの時間経過を考えれば、おそらく「あっ」という間に終わってしまうに違いない。
だから人生は儚いのだ。
その時間が如何に貴重かということだ。

本来なら昼寝をする時間も無駄にしたくないところだ。
しかし昼寝はする。
それは昼寝の後の時間を充実させたいからだ。

あくまで私の主観ではあるが、おそらく生き急がずに人生を全うする悪あがきをしているに過ぎないのだろう。
理屈っぽく考えたところで成るようにしか成らないことも分かっている。

60歳までに親の介護が終わり今健康な私は、黄金の15年を過ごしていることを幸せだと噛みしめながら生きるべきだ。

最後の人生に相応しい生き方

そんな儚い最後の人生に何をするべきなのかと考えても、凡人から脱皮でもするように変わることなどできるはずもない。
ただ時間だけは限られているであろうというだけだ。

それなら好きなことに打ち込む以外ないだろうと思っただけだ。
限られた最後の人生に、これまでの人生でできなかったことを自分の能力の範囲内でやってみることしか思いつかなかったのだ。

「それは何だ?」と聞かれても正解は分からないが、ただお金儲けでないことだけは確かだ。
生活基盤に必要な資金さえあれば、汗水垂らして使わないかも知れないお金を稼ぐ必要はないと思った。

最後の人生なのだからこれまでの人生とは違い、人生観と死生観だけはしっかりと考えておきたいとも思った。
理想は最後までアクティブに生き切ることだ。
延命などは一切望まないことも家族には伝えている。
その代り人生が終わる時までは尊く生きたいというだけだ。

アクティブに生きると言っても抽象的だが、ただ自分を納得させるために思っているだけだ。
最後の人生だということを自覚させるために能動的と表現する方がいいかもしれない。

このNoteも最後の人生を挫折しないための戒めだ。
このような文章を頻繁に書かないと、すぐに素の自分に戻って諦めてしまうからだ。

金儲けではなく夢を追って生きると決めたなら、叶う叶わないに関わらず最後まで夢を追い続けることだ。
できることならアインシュタインの名言のように、誰かのために最後の人生の時間を使ってみたいものだ。

ある僧侶が言った「人の人生は儚い、そして儚いからこそ尊いのだ」という言葉が今も私の心に刺さったままだ。

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