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老後に趣味を仕事にして人生を楽しみたいなら!

これから定年退職を迎える方々に、退職後はこんなに楽しい日常が待っていますよと伝えたい。
しかしそれには自分の定年退職後の過ちを反省しなければならない。
これまでは家族への責任を果たすために辛い仕事に励んできたが、最後の人生くらい好きなことをやりながら生きてみたいと思っていた。


趣味と仕事の違いを自覚する!

趣味を楽しもうとした定年退職後の人生には落とし穴が待ち受けていた。
趣味だと思い込んでいたことが、趣味だと思うことで人目も気にせずに楽しむことができなかったのだ。
つまり趣味を日常にはできないということが分かってきたのだ。
ゴーギャンのような人でない限り、南の島で絵描きを日常に暮らすことなどできないということだ。

趣味に費やす時間

サラリーマンをしていたころ、定年後の人生に最も憧れたのが趣味に費やす時間だ。
趣味に打ち込める時間が限りなくできるのが定年後の人生なのだと思っていた。

実際その夢は現実となった。

しかし憧れていた夢のような時間も趣味に没頭することができなかった。
一日中趣味に没頭していようが誰に咎められることもないのに、毎日没頭することができない難しさを感じた。

趣味を日課にするモチベーションが保てないのだ。

頭の中にいつも遊んでいるという罪悪感を感じていた。
趣味の定義は知らないが趣味と遊びを同等にしていたのだ。
何ひとつ生産性のない趣味を日課のようにやっている罪悪感だ。

しかし定年退職とは大手を振って、サラリーマンのような社会生活から抜け出せる最後のチャンスだったはずだ。
それなのに収益を得ることができない趣味を、正当化した日課にできないでいた。

例えばこの毎日書いているNoteもこれまでの私なら趣味のひとつだと捉えただろう。

Noteを書くことが趣味だとしたら、三日坊主の私に継続のモチベーションが保てないことは明らかだ。

趣味なら辛くなればやめればいい。
もう書くネタもないし何を書けばいいのかも分からない。
書いたところでどうなるものでもない。
ただの時間つぶしだ。
趣味なのだから辛いと感じながら継続する必要もない。

書くことが趣味だと思えばそんな風に考えてしまっても仕方ない。

しかし仕事だとしたらどうだろう。
少しくらい辛いことがあろうと、簡単に諦めないのが仕事なのではないだろうか。
私は敢えてそう思うようにした。

最初は収益を伴うことが仕事だと考えていた。
一円にもならないことが仕事のはずもない。
目的が収入でない以上は趣味だろうと考えていたのだ。

しかしものは考えようだ。
今は収入に繋がってはいないが、将来収入に繋がる可能性を考えればゼロではない。
言わば、今は売れていない作家なのだと考えれば納得できる。

その方が夢もある。
毎日続けているドラムの練習も、趣味ではなく仕事だと考える方が高いモチベーションを保てるというものだ。

仕事と趣味の違い

私は定年退職後に色んなことをやった。
海外旅や車中泊旅もその一つだ。
YouTubeで配信もしたが、どう考えても収益として割に合うものではない。
もちろん趣味としてなら悪くはない。

趣味なのだから収益に繋がらなくても当然だ。
好きでやっているだけなのだからと納得もできる。

しかしどれだけ好きなことであっても、いつまでも楽しいまま継続できるとは限らない。
例えばサラリーマン時代に有給休暇をとって海外旅行に出かけるのと、退職後に車旅をする違いは非日常と日常の違いだ。

たまに行く海外旅行は非日常を感じることができても、定年後に頻繁に車旅をすればそれはもう非日常ではないということだ。

例えば土日を利用して山に入り野鳥の写真を撮るのが趣味の人もいるだろう。
中には休みの日に川縁で絵を描くのが趣味の方もいるだろう。
しかしそれはあくまで趣味としての非日常だということだ。

毎朝ウォーキングをしていると、私よりも10歳は上であろう方によくお会いする。
その方は5キロも離れた隣の町から私の町まで毎日歩いて来られるので「毎日よく頑張られますね」と声を掛けた。
するとその方は「これは私の仕事ですから」と言われた。
そのような場面でよく聞くフレーズだったが、その意味がようやく分かった気がした。

その方にとっては仕事なのだから、雨か降ろうが雪が降ろうが関係なく歩いているという訳だ。
つまり歩くことが日常なのだ。
裏を返せば非日常なら雨や雪の日は歩かないと言うことでもある。

定年退職後に趣味を楽しんだ過ち

これは定年退職後に趣味を楽しんだ私への戒めだ。

多趣味が私の自慢でもあった。
定年後は多くの趣味を楽しめばいいと思い込んでいたが、それがそもそも間違っていたのだろう。
なぜなら定年退職後の有り余る時間を使って趣味を日常にするのだとしたら、それはもう趣味ではなく仕事だと自覚してやらなくてはならなかったということだ。

仕事なのだから少しくらい辛いことがあるのは当然だ。
そう思うことで継続のモチベーションが変わる。

しかし私は収益が得られないことを理由に、これは趣味だと思い込もうとしていたのだ。
自分のやっていることを正当化したかったに過ぎない。

趣味なのだから収益が得られなくてもいいと言う考え方だ。
しかしそれこそが自分を弱くし、いつでもやめることができるという理由に繋げていた。
継続できずに直ぐにやめてしまったことについては、結果的にその楽しさを知ることにも繋がらなかった。

継続していると少しずつでもスキルが上がり、スランプを乗り越える度に楽しさが増していくことを感じることができる。

私の最後の人生に突入した時の反省点は、趣味を楽しもうと考えたことだ。
最初から趣味のような楽しいことを仕事にしてやろうと意気込んでいた方が、いい結果になった気がしている。

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