書くことで幸せになれるのか?
今日は一度、途中で書くのを止めた。
つまらなくなって楽しいと思えなかったからだ。
後で考えると書き始めた時から面白くなかった。
楽しくないと思いながら書いた文章!
今はこうやって毎日文章を書いて発信しているが、何を思って書いているのかと聞かれれば返事に困る。
「ただの時間つぶしだろう」と言われても反論をする余地もない。
正に時間つぶしだ。
途中で書くのを止めた文章
実は今日も違うテーマで文章を書き始めた。
1,000字ほど書いた時、内容に詰まった。
書いた文章を読み返してみても自分ですら楽しくないと思うと書くことを続けられなくなった。
毎日発信することにどんな意味があるのかも分からず継続しているのは、一度止まったら二度と心を動かせないかもしれないと思っているからだ。
そうかといって書くことが楽しくなくなっても同じことなのは分かっている。
ただの時間つぶしなら尚更だ。
苦しいと思いながら暇な時間をつぶす者などいるはずもないだろう。
今年の2月になってからこれまで43の記事を書いてきたが、内容によって書いていて楽しかった記事とそうでなかった記事がある。
やっていることはライターと言われる職業の人たちと何ら変わりないが、ただ依頼されて書いていないというだけだ。
職業と同じように日課になっている書くことも、収入を目的にしていないのだからいつ辞めても何の問題も生じない。
書くという心を動かす原動力が収入でないなら楽しさしかないのだろう。
つまり私の場合は楽しくなくなった時点で継続は終了するということだ。
文章を書く楽しさは想像する楽しさにある
文章を書いていると頭の中は想像力で満たされる。
過去の記憶も想像によって変えられる。
どんな辛い経験も、想像の中では美しい記憶に変換させることもあり得るのだ。
過去の記憶すら変えてしまうのだから未来の想像は楽しくないはずがない。
過去や未来と言うよりも書いている最中に想像力を働かせているのだから、その時こそが幸福感に包まれる時なのだろう。
小説を読んでいる時と同じ感覚だ。
ただ読んでも面白くない小説があるように、自分が書いていても面白くない文章もあるということだ。
私の感覚では、頭の中で想像力がより発揮できる内容の文章ほど楽しさも大きいと感じている。
今日のように途中で書くのが止まってしまう文章は、想像できなくなった結果だ。
書いていて最も楽しかった文章
やはり旅に関する文章を書いている時が一番楽しい。
頭の中が想像で満たされるからだろうが、それが実際経験したノンフィクションでも書いている時はその記憶を超越しているからだ。
私が書いている旅記事は、過去の旅経験であっても読んでくれた人が旅の参考にできるよう現在の情報に沿って書くよう勤めている。
そのことで考えることになるフィクションの文章が、更に想像力を高めてくれることに繋がっている。
本来なら旅だけに限らず、どんな内容の文章であっても想像力を最大限に高めて書くのが面白いのだろう。
しかし私にはそれができそうにもない。
どんなテーマの内容であっても機械的に文章を作り出すことができないのだ。
1,000字も書かなくても書き始めから面白くなかったなら、その時点で手を止めるべきだった。
今日の自分への戒めは想像が止まった時点で書くことを止めることだ。