車中泊ひとり旅に欠けていた肝心なこと!
コロナ禍が車中泊ブームに拍車をかけたのか、多くの人がアウトドアとして車中泊を楽しんでいるようだ。
流行りごとは私の大好物だ。
車中泊ならお金もさほど掛からないだろうと思いやってみることにした。
車中泊旅+ひとり旅が招いた旅の…
私が車中泊を始めたのはちょうどコロナ禍でアジアを歩けなくなった頃だ。
車中泊なら人と接触することを最小限に抑えながら旅をすることができると考えた。
私が乗っているのは日産ノートだ。
こんなことならワンボックスカーを買った方が良かったと後悔した。
定年退職後見栄で乗っていた3L のセダンから燃費のいいコンパクトカーに買い替えたのだ。
車中泊の準備
先ずは日産ノートで寝られるようにしようと考えた。
後部シートを倒せば何とか寝られそうだ。
そこでラゲッジボードをDIYした。
実際に車中泊をしてみると、後部席を倒した時の微妙な勾配でゆっくり休むことができなかった。
結局それから2年以上は試行錯誤を重ねた。
コンパクトカーでどうやれば家と同じようにぐっすり休むことができるのか考え、車内ベッドを改良していった。
最終的にこれ以上ないという車内ベッドが出来上がった。
先ずは助手席のシートを最前までスライドさせ前方に倒す。
助手席の後ろを埋める板は助手席シートのレールに脚をはめ込み、倒した後部席とで持たせることにした。
もちろん後部席を倒してできる勾配も解消した。
最初に作ったラゲッジボードは撤去し、ラゲッジには少し高い収納箱を置くことにした。
その収納箱と倒した後部席の高い部分にスノコを掛けて水平にしたのだ。
そこにニトリで買った5センチ厚のマットレスを敷いた。
助手席シート側に枕を置けば190センチ近いベッドになった。
車中泊ひとり旅をなぜ楽しめなかったのか
これで日本中どこへでも行ける。
ひとり旅にも憧れていた。
最初の車中泊旅で四国へ行った。
車中泊旅をするまで四国へ渡ったのは二回だけだった。
しかも瀬戸大橋を渡って香川県に入った周辺と淡路から鳴門大橋を渡って徳島県に入ったといっただけだった。
車中泊旅で最初に行ったのは、香川県から徳島県、高知県、そして愛媛県だ。
その後も車中泊旅を繰り返し西日本の色んなところへ赴いた。
車中泊旅の費用を節約するため下道を通るというルールを定めていたが、今思うとそれは色んな意味で間違いではなかった。
自動車道は時間が節約できるというだけで道中の記憶が残らないが、下道を走っていると道中も思い出に残るものだ。
しかも高速料金や駐車場料金はひとり旅にとって最も不利な条件だ。
4人でも乗っていれば一人当たりの単価は下がるが、一人旅では有料道路を使うだけで鉄道移動よりも割高になるからだ。
そんなお金のことばかりを考えていたが、ひとり旅の本質はお金ではなかったことに気付くことになった。
1年もしない内に車中泊旅は飽きてきた。
コンパクトカー車中泊旅の限界
そもそも日産ノートで車中泊旅ができる日程はせいぜい3泊程度だ。
これはあくまで私の場合だ。
問題はゴミだった。
色々車中泊に関するマナーが取り沙汰される中、できる限りマナーを守った車中泊旅を心掛けた。
道の駅やコンビニで車内のゴミを捨てることはやめた。
カップ麺などを食べた後もハサミで細かく切って小さくし、ビニール袋に入れて持ち帰った。
顔を洗ったり歯を磨くのも自前の洗面器具を積んでいたので、その排水も持ち帰ることにしていた。
それでも3日程度でゴミが限界を迎えた。
旅先で溜まったゴミを堂々と捨てられるのはオートキャンプ場かRVパークくらいだ。
ゴミ捨てが有料だからだ。
しかし駐車場と同じでRVパークは一人旅には不利だ。
兵庫県に住んでいる私が九州や東北、北海道に行くことはこのような問題を解決する必要があった。
結局いまだに遠くへは行っていないが、その代り中部、近畿、四国、中国はあらゆるところへ行くことができた。
しかしひとり旅の本質は距離でもなかった。
車中泊ひとり旅が旅の本質を欠いていた
車中泊は旅の手段であって目的はあくまで旅だ。
行ったことのない観光地や名所を地図を塗りつぶすように行ってみた。
初めの頃は自由に一人旅をしている自分に満足感もあった。
普通の旅行ではなかなか行けないだろうと思えるような場所にも足を運んだ。
四国カルストや愛媛の山の中のひなびた温泉、奈良県の十津川村や岐阜県の郡上八幡などだ。
しかしその満足感も段々と薄れて行ったのだ。
コロナ禍ということもあり旅先で人と触れ合うことが少なかったからか、行って見たというだけでは何か物足らなかった。
行ったという実績づくりをしているだけのように感じたのだ。
これは車旅がひとり旅のメリットをデメリットに変えてしまったんだと思うようになった。
ひとり旅の場合は旅先での一期一会のような出会いが最も心を豊かにしてくれるが、車中泊旅はその機会を失くしていたのだろう。
コロナ禍での車中泊旅は理にかなってると思っていたが旅をつまらなくしていたのだ。
「旅は人生の道標」とも言うが、この言葉も人生はひとりでは歩んで行けないことを意味しているのだと思えてならなかった。
旅先で起こるアクシデントで知らない人に助けてもらったり、飛行機や電車で隣合わせになるだけでもそれが一期一会なのだということを考えさせられた。
そう言えば定年退職後にアジアを歩いて、最も思い出に残っているのが旅先での出会いだ。
私の人に会わない車中泊旅は、旅で最も大切な一期一会が欠けていたのだ。
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