移住2年目の変人
2年が経った。
小豆島へ移り住んでから。
言うまでもなく、今日は3年目が始まる日。
小豆島民3年生。
赤ちゃんで言うと今日から生後25ヶ月目。
小学校なら3年生。
中学校・高校も3年生。
大学だと3回生。
社会人は3年生。
色んな3年目があるけど、
どれもなんとなく、節目感ある、
気がする。
だからかなんだか分からないけど、
折角だから今日この日に思うこと、感じることを、
ここに記録してみようと思う。
(正確には、4月16日に書いてるけど)
言うまでもなく、私は幼い頃から変人だった。
当時の自分は気付いてなかったけど、今思い返すと、
よく友達は私の友達でいてくれたよなぁ、
と思うレベルで変人だったと思う。
学校の帰り道だけでも、
小3になって未だ現役迷子だったし、
適当に道になってるキンカンもぎ取って食べてたし、
暇な時は意味の無い単語にメロディつけて
30分以上歌い続けてたし、、、
(さすがに歌ってたのはひとりの時だけど)
そんな変人が、紆余曲折しまくりの30余年を経て、
小豆島へやってきた。
それから2年が経った。
相変わらず、私は変人だと思う。
寧ろ、猫かぶりをやめて、
変人具合にはより磨きがかかっている。
(ように思う)
小豆島は変人にすごく優しい島だ。
めちゃくちゃ語弊あると思うけど、心からそう思う。
あくまで個人の意見だけど。
そもそも、「変人」は変人であって変人でない。
「変人」と表現すると分かりやすいから
そう言ってるけど、
変人はある人にとっては変人で、
ある人にとっては普通の人じゃないかな。
例えば、毎日5時間は某ゲームをプレイして
プロゲーマーを目指してるAさんがいたとする。
ゲームは1日1時間までと
条例が制定されてしまった県に住んでいたら、
Aさんは変人扱いされてしまう。
それを応援するAさん親なんて異端人。
1日1時間までしかゲームしない人が普通の人。
でも、プロゲーマー育成に
力を入れている県に住んだら、
Aさんは変人ではなくなる、かもしれない。
そんな感じ。
(Aさんて仮名つけた意味が全然なかった)
めっちゃ話しが逸れた。
まぁいいや。
正直、島に住むと人間関係で悩むことは多々ある。
スーパーでぶつかってくるオッサンがいたとしても、
そのオッサンを叩きのめしてはいけない。
なぜなら、そのオッサンはもしかすると
姪っ子の友人のパパかもしれないのだ。
(さすがにそんな人いないけど)
とある喫茶店に入って、
ママさんに仕事のことを愚痴ることも出来ない。
なぜならママさんは、
もしかすると上司の母親かもしれないのだ。
昨日初めて会った人が、
義兄の幼馴染なんてことが普通にある。
仕事の関係で紹介されて話してたら、
姪の友人のママさんだったなんてことも普通にある。
東京でひとり暮らしをして、
ようやくノーをノーと言えるようになったけど、
ここではノーをノーと言ってしまうと、
大変なことになってしまう可能性がある。
自分にとって、夫にとって、
義母にとって、義兄にとって、
義姉にとって、姪甥にとって。
私はそういうの本当に苦手だから、
ここぞと言う時は
夫に上手に伝えてもらうことにしている(笑)
ただ、その分、
島では人間関係を大切にしているみたいだ。
(まぁ、個人差はあると思うけど)
困っている人を見たら、つい声を掛けてしまう。
美味しいものをゲットしたら、つい配ってしまう。
楽しいことがあったら、つい人を呼んで奢ってしまう。
そんな風に私は感じている。
だからかは分からないけど、変人の私であっても、
すごく人の優しさを感じる機会が多い。
東京で毎朝知らん人たちと密着していた頃よりも、
人の存在を近くに感じることが出来る。
(もちろん、島では家族以外と
密着する機会はほぼない。
太鼓祭りの時くらいかな?)
ここまで書いて、
初めに書こうと思ってた内容とのギャップが、
もう埋まることはないだろうと気付いたので、
この記事はここまでにしようと思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございましたm(*_ _)m