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私の幸せ【どんな子も安心して生まれてきてね、と言える大人でいるために】感想

「『私の幸せ』ってなんだろう」

私の憧れで推しなお姉ちゃんのnoteを見て
ふと、考えてみたくなった。



紹介

憧れで推しなお姉ちゃんのnote


ちえりさんは、helpwellの代表。
私にとって、人の世話で疲れ果てていた時に
私が最も望んだ形で救ってくれたお姉ちゃんだ。


helpwellについてはコチラ


helpwellに来る前のゆめ

私は『ヤングケアラー』『若者ケアラー』と言われる状態に、該当していた。2024年11月、社会人デビューすると同時に、両親と暮らしてきた自宅を離れて、叔母の家に転がり込むまでの10年、ずっと私以外の誰かが生活の中心だった。

当時の私の年齢や時代もあるだろうが、私が家族の介護・情緒的ケアを担うことについて、周囲には全く理解がなかった。専門職にすら、理解がなかった。

叔母と母は、祖母の介護の時に「大変ね」「休める時に休もう」という内容の声掛けをされていたが、私は「若いから大丈夫よね」「お母さんたちは安心ね」で、終わり。

大人たちと同じように、しんどいところはしんどいはずなのに、それを見てもらえない。そもそも、未成年という、まだまだ心身の成長で不安定になる時期に、誰かの世話をせざるを得ない状態が「おかしい」という概念がない。
若いからこそ、自分の進路もあるはずなのに、そこが大人たちの頭の中からきれいさっぱり無くなっている。「大人たちに余裕がない」という表現が正しい気がするが、私が立って歩いて喋れるから、弱視・左半身の不全麻痺・発達障害・PTSDと、生存する上でのデバフがかかっていることも、頭にない。※障害や病気の状態は、介護をしていた当時のもの。

そんな経験から、『支援』『福祉』について考えたり、勉強したり(医療系専門卒)、自分の経験を発信したり、福祉や教育関係の活動・仕事に関わったりしていた。

当然、私はケアされないし、セルフケアは全く追いついてない。燃え尽きた状態で、死を渇望しながら『介護がきっかけで苦しむことになる若者は、私で最後にする』ために、1人で全力疾走していた。


ケアラー生活10年をふり返ったnoteはコチラ


お姉ちゃん🍒のnoteを読んで

生き方

対人支援職、医療/介護/教育/福祉従事者、それからカウンセラーやコーチは私がみた中で安心感や信頼関係をつくるプロだ。そしてそれを「生き方」ごと選んでいるひとが多い。

chieri sakurada

私の場合、『支援』という世界の入口が家族で、なんの知識もないまま関わってきたので、「生き方」のみに角度を変えてみる。

私は、なんの違和感も持たずに、当然のことだと思って、家族の介護・情緒的ケアを担ってきた。大人たちから、そうなるように・そうするように仕向けられたところはあるが・・・


最終的に「やる」と決めたのは私だ。
自分のことよりも、祖母を、叔母を、母を、父を、優先して選んだのは、私だ。さすがに負担が大きすぎて、私の方が死にそうになったが「二度とやらない」と思うだけで、後悔は全くない。

これはもはや『生き方』な気がする。
自分のこれまでの行動を思い返しても、人のためならいくらでもがんばれたし、なんの悔いもない。自分のためとなると、途端にがんばれなくなるのだ。

もう、運命だ・・・・・


支援者ケアの意味

『転けても、また起き上がれるように』
『生業の中で孤独を感じないために』

私はこう考えている。
『折っちゃダメ』と近いかも。

社会人デビューするまで就職活動でお世話になった、就労支援の支援員さんたちがいなければ、私は今、ここにいない。砕け散った『私』の欠片をかき集めてきて、マイナス値までいってしまった私の中の『大人たちへの信頼』を、取り戻すだけでなくプラス値まで足し上げてくれた。本当に感謝している。

でも、どんなに大変で難しいことを成し遂げていても、それが公に認められる事実だとしても、利用者・患者・生徒が感謝を伝えても、転ける時は転けてしまう。
私の担当支援員・お星さんだって、死を選ぶ気力すら失っていた私をここまで立て直してくれたのに「ゆめさんの支援計画、ミスった・・・」と、頭を抱えていたのだ。

どんなに理解していても、支援者だって人間な以上、傷つくことはある。

だから、折れてしまっても再び戻ってこれる。対人支援を仕事に選んだ人たちが、孤独を感じない。そんな世界が実現したらいいなと思っている。

ケアラーの立場だった私にとって、最大の敵は結局『孤独』だったし、仕事・活動としても支援者という立場になって、そう感じているので、「支援者が孤独を感じない世界」は、より強く、実現したらいいなと思っている。

対人支援職というのは人生を回復する専門職であり生き方である、それに救われた人はどれだけいるのだろうか、だからその生き方の人たちが大切にされる社会にしたい

ちえりさんより


『私の幸せ』

実は、よくわからない。
いつかわかる時が来ればいいなと、自分を癒やしながら、自分のやりたいことをしながら、待っている。

人の役に立てるのは、心からうれしい。
疲れ果てて、どんなに「誰が支援を仕事にするか」と思っても、人が困っていたら知恵を貸して、涙を流す人のそばにただ存在しに行って・・・自分が疲れるくせにそうするって、よっぽど人に貢献することが、私にとって大事なんだろうな。

これからも、私ができることを続けていく。『福祉』は、支援者も含めた全員が、年齢も障害も性別も関係なく、幸せであるためのものだと思うから。

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