居場所探し【起立性調節障害】
これは、私が起立性調節障害を発症した時。
本当に、突然だった。
今回は、私の症状・生活・対策についてのお話。
※あくまで、ゆめの場合です。
※私はだいぶ無茶をしています。
私の対策をムリに自分に当てはめたり
我が子に押しつけたりされないでください。
居場所探し【起立性調節障害】
まず『起立性調節障害』ってなに?
『起立時』とは言っているが
・立ってすぐにふらつく
・立ち続けてたらクラクラする
・立ち続けてたら急にぶっ倒れる
・別に立ってられるけど、心臓がバクバクいう
色々なパターンがあり
その他、様々な症状が出る。
なぜこんなにも様々な症状が出るのかというと
起立性調節障害は
『自律神経失調症』の一つだからだ。
自律神経は、簡単にいうと
体温や臓器の動きの調整を行う神経。
そして、自律神経は感情の影響も受けやすい。
そこが調子狂うのだから、体調もメンタルも
全部の調子が悪くなってしまう・・・
原因はわからないことが多い。
成長期に多くみられる病気なので
一気に背が伸びて
血流が上手く脳に届かなくなった?
学校や家でなにかあって
それがストレスになってる?
体質的にそもそもの血圧が低め?
なにか、別の病気のせいで
自律神経失調症の症状が出てる?
こればかりは、医師の判断と
時間経過に任せるしかない。
ゆめの場合
発症時期:
13歳(中学2年生)の夏
原因:発症から10年経った今、考えてみると
✔️仕事から帰ってくる父に
どうしても「おかえり」を言いたくて
25時とかまで起きて待っていて
生活リズムがおかしくなっていた。
✔️学校でいじめに遭って、しんどかった。
✔️発達障害の傾向で感覚鈍麻があって
「のどが乾いた」という感覚がわからず
水分補給が全然足りてなかった。
症状:
低血圧、長時間立ってられない、倦怠感
立ち上がる時に必ず目が回る
体温調節できない(真夏に寒い、真冬に熱い)
やたらストレスに弱くなった
食事をとろうと思えない(食欲なし)
薬:
リズミック
※本来は透析時の低血圧に対抗するもの
1日2回、朝と夜に服薬していたが
夜の服薬は、寝ている間に血圧が上がって
眠れなくなってしまったので
途中から1日1回、朝のみの服薬になった。
生活:※真似しちゃダメ!
中学校は気合で行った。
急にクラッと来て、倒れることが
日常茶飯事になっていた。
学校で2回倒れたら
母に迎えに来てもらうことを、先生と約束。
家では音楽を流してリラックス。
相変わらず、睡魔に負けるまでは
父の帰りを起きて待つ。
食事も、父が帰ってくるまで待つ。
高校からは
飲み物を全てポカリにチェンジ。
一気に元気になった。
※慢性的な脱水を起こしていたことが判明
元気になったことで
気合を出さなくても
動けるようになったので
普通に全日制に通えた。
ただし、水泳はドクターストップ。
マット運動とダンスは制限付き。
介護しながら※真似しちゃダメ!
私が高校1年生の頃
祖母が認知症を発症し、介護が必要に。
私の体力があろうがなかろうが
歩く時に支えたり
外に出てしまったら追いかけたりは
しないといけないし
祖母が落ち着いていても
叔母と母の愚痴は聞かないと
叔母が潰れてしまうので
結局、気合で日々を乗り切っていた。
薬の管理は、最初は自分でしていた。
しかし、祖母が
自分の薬(降圧剤)と私の薬(昇圧剤)を
私が目を離した数秒でシャッフルしてしまい
気づかずに私が服薬。
一気に血圧が下がってしまい、救急搬送。
それ以降、私の薬は全て母に託していた。
現在
普段過ごしている環境や
ほかの持病の影響も受けているが
在宅でオンラインをメインに
noteやXでの発信・お絵描き
・コミュニティ運営・プロジェクト参加
などなど、たくさんの方と関わり
活動させていただいている。
飲食については、弟が
「ちゃんと食べて」
「水分とった?」と
聞いてくれるので、厚意に甘えて
そのタイミングで摂取している。
今は、両親と離れ、叔母と生活しているので
のんびり過ごさせていただいている。
学生時代はよく
「なまけてる」「さっさと動け」
「仮病使うな」「そんなん甘え」など
学校の先生からも理解されないことは
よくある話だったが
今は、一緒に過ごす人を自分で選んだし
私の発信の内容が
障害・病気・福祉の方に寄っているので
周囲の人々は、そもそも理解できる方や
理解できなかったとしても
受け入れることが出来る方ばかり。
なんだかんだ生きてるし
たぶん環境が合えば生きられるので
心身の声に素直になって
居心地の良いポイントを探そう。