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幸せな始まり【癒やされたヤングケアラー】

「対人支援」と表される世界と関わり始め

担当支援員のお星さんと出会い
絶望から救われるまで7年

オンラインコミュニティの
運営メンバーに選ばれ
自分の価値や活動の方向性が定まるまで8年

『対人支援職の人たちも
自分のことを考えられるように』と集まる
同志たちと出会うまで9年


それまでは、たった1人で
心身を破壊されながら、
時には自ら破壊しながら、
周囲の無理解や全身に走る激痛たちと
死闘を繰り広げていたゆめ🦋

これは、死を選ぶことすら出来ないほど
消耗したヤングケアラーが、癒やされ
幸せな始まりを迎えたお話し。



追いつかないセルフケア

育ててくれた祖母が認知症になって
日に日に、できていたことが
できなくなっていく。

あまりにもショックな現実。
でも、ショックを受ける私に
寄り添う余裕のある家族はいない。

自分でなんとかしよう。


音楽

基本的に、かけ流していた。
話しかけられたら停止、
話し終わったら再生。

会話のない時間が地獄すぎた。
無音なのがつらかった。
音がないと、無駄に思考してしまって
動いていなくても脳が疲れるので
基本的に、かけ流していた。

よく流していたのは(敬称略)
大瀧詠一、ユーミン、久保田早紀
光GENJI、相川七瀬、岡本真夜・・・

なお、彼らの全盛期に私は生まれていない。
ぎりぎり、岡本真夜の全盛期の終わり頃か。

ボカロが好きなのだが
「ガチャガチャしてわからん」
「機械が歌ってるのは聞き取れん」と
叔母から大クレームだったので
あまり流さないようにしていた。

ちなみに、今も
結局ユーミンは聞き続けている

インプット

発達の特性も相まって
私はインプットおばけ。
なんでもかんでも調べないと気が済まない。

なにかを学んでいる時、調べている時は
楽しかった。

時間。尊厳。エネルギー。健康。家族。
奪われたのか、自ら手放したのか、
失わざるを得なかったのか、
今となってはよく分からないが

とにかく、大切にしたいことや
大切にすべきものを失った私にとって
『知識』は誰にも奪われないものだった。

インプットすることは、
知識を頭の中に入れることは、
失うことに慣れていく中で
私が唯一、失わなかったもの。


私は冷酷無比

ある夏の夜、私はスマホに手を伸ばし
画面をタップする。

「おぉ?来たか?大丈夫か?」
「お疲れさーん、生きてるかー?」
「喋れるなら喋ってけ?
お前は頑張りすぎるけんなぁ」

ほぼ毎晩、私は
地元の仲間たちが集まっている
メッセンジャーの通話に入っていた。

この日も、いつも通り入って
理解ある仲間たちのたわいのない会話を
ラジオ感覚で聞き流して
ホッと一息つこうとしていた。

だが、この日はいつもと違った。
「雨、やまんなぁ」
「川、あふれんじゃねぇか」
「ゆめのとこはどうじゃ?」

既に就寝した祖母を起こしてしまうので
私はチャットで返事する。
「雨は降っとるが、明日にはやみそう」

地元では県全域で土砂降りのようだ。
「避難所におろうかのぉ」
「割と通話しとる場合じゃねーかもしれん」
「まぁ、誰かと喋っとかねーと
不安でとち狂いそうってのはあるが」

少し早めに、通話は終わった。


翌日、1学期の期末考査を終えて
帰宅した私は

縁ゆかりある場所が
仲間たちが暮らす街が
泥水に沈んだことを知った。

※2018年7月 西日本豪雨

全てを思い出せない。
思い出そうとすると
頭の中が霞んでしまう。

覚えているのは、夏休み丸々使って
連絡がとれない仲間を探し回り
無理やり笑おうとする仲間を抱きしめ
流され壊れた街を見て涙を流したことだけ。

ふと気づけば、1年半も経っていた。
いつの間にか高校を卒業して
専門学校に入学し
私は、以前と変わらず
学業と介護・情緒的ケアを
両立する日々を送っていた。

頭の中に響くのは、私を責める声。
「14年も一緒にいて
なんで分かんねぇんだよ。
大親友の命より、たった1日の出席が大事か」

なにも言えない。
だって、事実だから。
「苦しい」「すぐに会いたい」
「消えてしまいたい」と泣く大親友からの電話を
「学校だから。急いでるから」と
一方的に切ったのは、私だ。

街が元通りになっても
私の帰る場所はもうない。
もう穏やかに仲間たちの声を聞き
過ごせる時間はもう戻らない。



途中までは仲間たちの力があったとはいえ
よくここまでセルフケアで耐えられたと
自分でも思う。

逆に言うと、ここまでしか出来なかった。

ただ、自我と仲間を失い
孤独になっただけなのに
私は疲れ果て、死を選ぶ気力すら失った。


生き返って

お星さんが
カタルシスをさせてくれなかったら
応援してくれる
コミュニティメンバーがいなければ
私はまだ惰性で呼吸していただろう。
既に息絶えていたかもしれない。

私は大勢に支えられて
生き返って、動き回れるまで回復した。

たくさん活動するようになると
やりたいことが見つかった。

そこで同志たちと出会い
『支援者として癒やされる』を知った。

自力だけではなくて
人に助けてもらうことを知って
延々と入り続けていた力が抜けて
すっごく身軽に
なった。


同志と共に

つらかった。
というか、つらいって気づいてなかった。
それくらい追い詰められていた。

同志と出会って
10年ぶりに、料理と食事が楽しいと思えた。
人といて、穏やかで温かい気持ちを思い出せた。
すごく心が満たされて、幸せで涙がとまらなくて

「私はここで生きてる」と言えるようになった。

あまりにも「一般的」から
離れすぎた人生を送ってきたり
興味や知識の偏りが強すぎたりするせいで
しょっちゅう驚かせて困らせてしまうけど
同志たちは、あたたかく見守ってくれる。

全部ひっくるめて
「ゆめの力が必要だ」と言ってくれた
強く、優しく、尊敬できる人たちと出会えて
本当に幸せ。

一緒に笑ってくれるし
支え合えているって実感できる。

さよなら、孤独。
私はもう、ひとりじゃない。

さよなら、昔の仲間。
楽しかったで。守れんですまんかった。
今は、私が望んで選んだ場所で、
最高の人たちと出会えた。

お星さん、コミュニティのメンバー、
私を元気にしてくれてありがとう。
みんなが生き返らせてくれた命を生きます。

同志たち
私を選んでくれてありがとう。
これからもよろしくお願いします。

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