創業のきっかけと変わらない想い
約25年前に机1つ電話一本3万で間借りして、たったひとり、夢ふぉとを起業しました。
今度は、その創業に至るまで、そして創業から現在に至るまでの道のりを、語らせていただきます。
▶自分の最も輝ける場所を探して
人は、ありのままの自分を同じように置いてみても、けちょんけちょんに言われるような合わない環境と、反対に、最高!と言われるような輝ける環境があります。自分の輝ける環境に自分を連れて行ってあげられるのは自分自身だけです。
私の実体験を、日々の仕事環境に思い悩む人たちへのエールの意味も込めて、書かせていただきます。
私も、自分で会社を立ち上げるまで、自分が本当にやりたいこと、本当に輝けるフィールドを探して、仕事を転々としていました。
私はもともと旅行が好きで、自分の世界を広げたい、世界中を見たいと思い、スチュワーデスになりたかったんです。しかし、20歳のとき、人気だったJTBを、親友に連れられて面接練習のつもりで受けたら、奇跡的に受かってしまい、大きな企業だったこともあってそこに入社しました。
しかし、実際に入社してみると配属先は全く自分に合う業務ではなく、誰にも相談せず、2年で勝手に辞表を出してみたら、母と会社から「石の上にも3年って言うやろ!!」なんて叱られて…辞表を破られてしまいました。仕方なく継続してみましたが、ある日お手洗いで鏡を見たら、ひどい目をしていて、「20歳ごろの若い自分がこんなにも活き活きしていないなんて…!」と、「一刻も早く脱出せねば…!」と、焦りを感じてしまい、退職金が出るまで残り1カ月と迫った2年11カ月で、急いで再度辞表を提出して、脱出しちゃいました(笑)。
脱出するとそのままの勢いで、飛行機の往復チケットだけ握りしめて、1人でバックパッカーの旅に出ました。ロサンゼルス、ラスベガス、サンフランシスコからロンドンへ。そして、パリ、スペイン、イタリア、ドイツ、スイスなどヨーロッパをめぐって、途中ではたまたまスペインで出会った日本人とモロッコに出るなどして…とにかく、足の向くまま、気の向くままに飛び回りました。
行く先々でいろいろな経験をしました。中でも一番好きだったのが、スペインのマドリッド広場での夜。いろんな国から来た人たちとお酒飲んで肩組み合って弾ける笑顔で踊った夜でした。ラテン系の国の空気と言いますか、現地の方がすごい親切に面倒見てくれて、人の温かみを凄く感じたんです。
JTB時代の研修旅行で、高級宿に泊まって、なんてのもありましたが、決められた旅と自分で決める旅は、残る思い出が100倍違いました。裏路地で子供たちと紙芝居を見るような自分で発見した人との出会いは、素敵な景色を見るよりも魅力的です。何より私は、人が好きなので。パッケージ旅行にはもう二度と行かないと心に誓いましたね(笑)。その後も、仕事をやめる度に私は海外逃亡をしていました。
帰国後、次の職場は花の万博のキャンペーンガールをしました。開催前の1年間花博の衣装を着て全国縦断して宣伝するような仕事です。キャラバン隊として1年間ぐらい働きました。その途中、ふと、自分が成長できていないのを感じ、何かしようと宅建の勉強をし、無事合格。キャンペーンガールを終えてからは、秘書の仕事につきました。言われる前にやる気遣い力と行動力、失敗を隠さない素直さで、そこではたくさん活躍できました。そうして自由な環境で5年くらい働いた後、商事会社の方からヘッドハンティングを受け、そこでは1年弱働きました。
最初のJTBからの数回の転職で、会社の規模感こそ小さくなっていきましたが、自分自身の価値を安売りしないためにも、給料は元よりも必ず高くなる環境に身を置くようにしていました。結果、これ以上給料が高い環境となると、もう自分で会社を作る方が良いんじゃないかとふと思い至りました。私は自由が大好きなので、人に使われるのがもともと性に合わないのもあって、こうなったらもう、起業をしよう、となったわけです。