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プレゼンツのプレゼン!

私が大好きなバンド、”THE  PRESENTS”の話をしよう。

プレゼンツはその純度を保つため、たぶん最高のタイミングでゆーほが抜けた。その後どんな展開が待っているのか?待っていたらほぼ1年が経過した。

でも、わたしは相変わらず毎日プレゼンツの曲を聴いたり歌ったり演奏したりしている。

先日ゆーほの記事に久々にプレゼンツのことが書かれていた。今更だけどなんだかもやもやしてしまった。ゆーほが抜けたときは、とても寂しかったけど、あのときは、彼らが選んだことならそれぞれの今後を全力で応援しようと思っていた。

読んでいるうちに、メンバー内で方向性が違ったらどっちかが遠慮するとかやめるとか、なんか普通すぎる・・・と思ってしまった。

自由と自由が、衝動と衝動が、黄金と黄金が、「そのままでゴー」と「そのままでゴー」が、コラボして最高のサウンドが生まれる。なんでもありの体現者。それがプレゼンツだと思っていた。


最近二つの音楽映画を観た。

一つ目は「音楽」というアニメ映画。絵がシュール過ぎて「なんだこれ?」と思ったけど、三男坊が興奮してめっちゃ面白かったとススメてくるから観てみた。結局3回くらい観て原作も読んでしまった。音楽無知不良三人組「古武術」というバンドと、フォーク系のギターめちゃうま「古美術」というバンドが、クライマックスでいきなりコラボを始めちゃう場面が最高だった!

もう一つは「スーパーけいごチャンネル」で紹介されていた映画の中から「はじまりのうた」という映画を観た。あちこちからかき集めた人でバンドを組み、路地裏やビルの屋上でレコーディングする場面が出てきた。これが最高でやっぱり何度も観てしまった。その辺で遊んでる子どもたちを連れてきてコーラスさせる場面・・・ギター初心者の女子高生が、初めはあまり乗り気でなくてただ観てたんだけど、そのうちいっしょに音を合わせ始めてどんどん盛り上がっていく場面・・・「これこれ!」って思った。だから音楽は楽しい!

まったく異質なものが入ってもなぜか思いがけない調和が生まれる。そういうのが楽しい!最高!「こうでなきゃ」とかなにもない。それが自由な音楽。


プレゼンツの音楽は、今聴いたってまったく色褪せることはない。脈々とした息遣いを感じることができる。私も生きよう!と思わせてくれる。毎日聴いたって決して飽きることがない。説明なんてできないけど、私にとってプレゼンツの音楽はそういうものだ。

どっちにしても、あのとき、ステージの上でキラッキラに輝いていた4人の姿が私から消えることは永遠にない。


100年後は俺たちたぶん誰一人いなくなって 歌だけが残って揺らし続けるだろう(by bridge)

きっと何度も何度でもおれたちまだ笑えるぜ(by ハイリスク・ノーリターン)

世界の何処かにはきっと 自分みたいなやつがいて いまにも泣きそうな顔で出会えることを待っている(by 黄金のままで)

あいも変わらずぼくら息をしてる 純粋なまま汚れていこう(by  flow-er)

もうどうしようもないくらい僕は僕であること 止めることできない もうこのままでいくしかない (by ロックンロールとキリスト教)

俺たちは最後まで戦い続ける 俺たちは最後まで叫び続ける ちゃんとやらなきゃちゃんと生れてこねえ その産声よ天まで届け!(by  Shock the japan)

思い出したら夢になんて戻れないぜ(by SARHA)


〜祈りの話〜

祈りとは神様の声を聴くことだと聞いた。自分を空っぽにしないと神様の声は聞こえないのかもしれない。自分を空っぽにして神と一体になった状態が祈りなのかもしれない。そのとき最も美しい姿で自分が用いられる。世界と調和する。それ以上の喜びはないのではないか?自分が全開になったときにそこに神が入り込んで世界のために自分を最大限に用いてくれる。神ということばがピンとこなかったら、「宇宙」とか「真理」とかいう言葉と置き換えてみたらいいと思う。そこには不思議な法則があって、そこにピタッとハマった瞬間その人は最も輝くんじゃないかと思う。自分の願いや欲望なんて超えて、もっともっと神々しい世界に行けるんじゃないかと思う。

私の好きな祈りのことば

フランシスコの平和の祈り
神様どうか私たちを、平和のためにお使いください。
憎しみがあるところに、愛を置かせてください。
争いがあるところに、許しを置かせてください。
分裂があるところに、つながりを置かせてください。
疑いがあるところに、信頼を置かせてください。
絶望があるところに、希望を置かせてください。
闇があるところに、光を置かせてください。
悲しみがあるところに、喜びを置かせてください。
神様どうか私たちが、慰められるよりも慰めることを求めますように。
愛されることよりも愛することを求めますように。
なぜなら私たちは、与えることによって与えられ、許すことによって許され、死ぬことによって永遠の命を得られるからです。

自分を邪魔する雑念を追い払って自分を空っぽにしてそれでもなお湧き上がってくるもの。それは神様が自分を通して働こうとしているんだと思う。恥ずかしいとか、自分なんて、とか思ってしまうこともあるけれど、それはせっかく自分を用いようとしてくれている神様に失礼だ。

私は私にできることをしようと思った。





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