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これだ!こんな音楽がやりたかった!

大学を卒業して、私はある中学校の音楽の先生になった。

初めてのことに不安ながらも、子どもたちと大好きな音楽ができることにワクワクしていた。

ところが・・・最初の授業の自己紹介で、ほとんどの子どもたちが「音楽は嫌いだ」と言う。特に義務教育の最後の年を迎えた3年生にそれは顕著に表れていて、その歌声もしょぼしょぼで、まったくやる気が感じられなかった。

私は思った。9年間の音楽教育の成果がこれか・・・???

それからは必死だった。どうしたらこの子たちが音楽に興味をもってくれるか?あの手この手で日々の授業に臨んだ。とにかく音楽の楽しさを伝えたかった。最初は「先生がどんなに頑張ってもぼくたちの音楽嫌いは治らないから無駄だ」というようなことを言われることもあった。でも2年目、3年目と年を重ねるうちに、音楽に対する意欲も歌声も高まっていった。

子どもたちが一番夢中になったのが、自分たちで選んだ曲を、自分たちで決めたメンバーと、自分たちで選んだ楽器(と言っても、使える楽器はリコーダー・ギター・ピアノ・オルガンくらいだったが)で演奏して、最後に発表会をするという授業だった。曲のアレンジなどかなり準備は大変だったけど、卒業前の最後の授業では自分たちの音楽に涙する姿さえ見られた。

「僕たちのやった音楽は、プロの人からみたら下手くそかもしれないけど、僕たちにとっては最高だ!」そんな言葉を残して卒業していった子もいた。


その後も学校を変わるたびに音楽嫌いの子どもたちに出会った。

「なんで音楽なんかやらなきゃなんねえんだよ!」とリコーダーを振り回して黒板をバンバン叩いて騒ぐ子もいた。

初対面で、最初の授業の音楽アンケートに「うざい!死ね!」と書かれたこともあった。

歌声を伝統として数々のコンクールで優秀な成績をとり続けている学校に勤務したこともあったけど、中に入ってみると、「うまく歌わなくちゃいけない」「先生や親の期待に応えなきゃいけない」「この歌声でいいのかな?」そんな不安を抱えて、とっても上手なのに、心から音楽を楽しめずにいる子どもたちもいた。

こんな状況で、学校で音楽を教える必要なんてあるんだろうか?こんなにも時間やエネルギーを使って、お給料をもらって、なんて価値のない仕事をしているんだろう?そんな虚しさに何度も襲われた。

そもそも自由の代名詞のような「音楽」というものを、学校という「体制」の中で「教えて」いることがおかしなことなんじゃ???

それでも、試行錯誤しながらやっていると、子どもたちにはそれぞれ生き生きする瞬間がある。

例えばリコーダーを振り回していた子は、トライアングルにハマった。そのうち数あるトライアングルからお気に入りを見つけて、そのトライアングルを「おれの相棒」と呼んでいた。

「うざい!死ね!」と書いてきた子は、みんながどんなに一生懸命歌っていても、一人だけ歌おうともしなかったのに、アンケート用紙の好きな曲の欄に書かれていた曲を授業の中でかけてみたところ、突然狂ったようにノリノリで歌い出した!これには私もクラスメイトもびっくり!(≧◇≦)

みんなそれぞれに楽器や音楽との相性があるのだ。それを無視して一方的に無理やりに好きでもない曲を歌わされたり演奏させられたり聴かされたり・・・そんな授業を続けていたら、それはやればやるほど、音楽嫌いが増えていくのは当たり前と言えば当たり前すぎることだ。なぜこんなことをいつまでも続けているのだろう?

そんなことを考えてばかりいたときに、坂爪圭吾さん(彼のブログをずっと愛読してた)が音楽を始めた。もうそれは自由で、楽しくて、「生きる=音楽」というまさにまさに、私がずっと求めていた本当の理想的な「音楽」というものだった。

これだ!私のやりたかったのは、これだ!こういう音楽だ!

それから坂爪さんが毎日作ってはアップしてくる曲も、そのお仲間の音楽初心者と言われる保科さんが、一人黙々と歌やベースに向き合う姿も、楽しみで楽しみで、毎日追っていた。そしてやがて彼らの周りには、音楽で自分を表現しようとする人たちが集まってきて、曲を作ったり、歌ったり、演奏したりするようになっていった。なんて素敵な人たち!?「これが本当の音楽だ!」ってこの方たちが、音楽教師の私に教えてくれた。本当に感謝しています!「ありがとう」の100万倍くらい!(≧▽≦)

もう私にとって、音楽は教えるものでも、教わるものでもない。「やる」ものでさえもない。

私も音楽になりたいのだ!

自分からあふれてくるものを音楽にして放ちたい!


※大好きな歌 ♪あふれちゃん♪ ↓

※こんな悲しみも歌い飛ばしちゃうところが好き! ↓



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