モンスターの正体は?
小学生のお子さんがいる方の教育相談に乗ると、結構な頻度で「モンスターペアレント」という言葉を聞く。いずれも「担任にモンスターペアレントと思われるのが怖くて、本音で話せない」という内容。
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モンスターペアレントって、なんなんやろう。学校に意見するのがモンスター?例えば子どもがいじめられていて、学校に「対応してください」ってお願いするのはモンスター?
違うよね。
かくいう私も15年近い教員生活で、頭を悩まされ、感情をグッシャグシャにされた保護者に出会ってきた。あのころはかなり泣かされたけれど、今はちょっと分かる。あの人たちはみな、子どもを守るために必死だったのだろう。人にはさまざまな面があるのだから、一面を見て「モンスター」って決めつけるのはいかがなものか。
ただ、潜在意識にすりこまれた「モンスターペアレント」は今もなお、教師と保護者を分断し続けている。
担任は保護者の顔色をうかがい、表面的な話をする。保護者は担任の真意が分からず、当たり障りのない世間話にとどめる。
子どもを見守る同志なのに、お互いがお互いを恐れて探り合う。
「モンスターペアレント」の言葉がひとり歩きし、コミュニケーションを阻害する。「〜かもしれない」というイメージこそが、モンスターのように思えてならない。
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「モンスターペアレントと思われるのが怖くて…」
やさしい人ほど悩む。自分の行動を振り返り、「これで良かったのか」「もっといい方法があったのでは」とグイグイ自分を追い込む。
だから私はきっぱりと言う。
「お子さんを思うが故の行動は、モンスターではありません」
探り合っていても何も変わらない。であれば、思いを伝えるのがベターじゃなかろうか。
そんなことを言いながら、「断られるかもしれない」と、取引先に提案できずにいる自分に気づく。相談相手に投げかけた言葉が、ブーメランのように自分に突き刺さる。
大切に思うからこそ、疑心暗鬼になるのかもしれない。頭で分かっていても一歩を踏み出せないとき、背中をポンと押してくれる相談相手を求めるのだろう。
「大丈夫、きっと伝わりますよ」
相談相手にかけた言葉に、自分が救われている。
もちつ、もたれつ。