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トライアンドエラーで、ええやん。

40代になった今もなお、私は挑戦と失敗を繰り返している。

さとゆみさんに出会い、りり子さんを知り、近藤先生の存在に行き着いた。三行塾で「ライターとは書く人」とおっしゃった近藤先生。毎日note更新を自らに課すも、"更新"が義務になっていき中断。

毎日「書かなければならない」とすると義務になり、いつでもOK!となったら書けなくなる。

でも、書きたい。
書き始めは想像もしなかった場所に着地するあの快感を、また味わいたい。

行き詰まったときの対処法はひとつ。本を読み、音楽を聴き、映画・ドラマを観まくる。乾いた心に水を与え、じゃっぶじゃぶにする。

根腐れする?知るもんか。

腐ったなら、また新たに育てればいい。


何を書くか

「エッセイを書く!」と決めたのは、9月上旬。

そこからずーっと考えるもんの、「私にしか書けないこと」が見つからない。

私は何を書きたいの?
何が書けるの?

こんな問いがぐるぐる。

だけど、岡田尊司さんの書籍を3冊読み、少しだけテーマが見えた。

岡田さんの書籍は、発達障害から夫婦関係、母と子、父と子の関係まで幅広い。全てを貫くテーマは「愛着障害」だ。

「愛着障害」と聞くと、「親を責めている」ように感じるかもしれない。ただ、「完璧な人間はいない」という原点に立ち返ったとき、少なからず人は愛着の課題を抱えているとはいえまいか。

親を責めるのではなく、「だれしもが完璧ではない」と知る。この気付きによって、生きづらさは少し和らぐのではないか。

生きづらさからの卒業。生きづらさの昇華。

このプロセスは、当事者にしか書けないだろう。

娘をコントロールしようとする母

「〇〇ちゃん(私)のおばちゃん、結構キョーレツよな」

親友Mちゃんが発した言葉。

そうなのだ。我が母は、なかなか支配的な親。服装や髪型、友達付き合いまで、自分が気に入らなければ「徹底的に」否定する。

今は、「はいはい」と聞き流しているけれど、思春期はこたえた。

「あんたには似合わない」「あの子があんたをダメにしている」

母の言葉が、ジワリジワリと染み込んでいく。


親友Mちゃんは、母の気に入らない友達No.1。ただ、母が何と言おうがMちゃんとの付き合いはやめなかった。

「明るくて人の気持ちを思いやることができる。でも、いじっぱりで強がりで、素直になれないところもある〇〇ちゃん。△△さん(夫)、どんな〇〇ちゃんもしっかりと受け止めてあげてください。私の親友を、よろしくお願いします」

私の結婚式で涙ながらに話したMちゃんを、無言でにらみつけていた母。完璧を求める彼女からすると、「娘を否定された」と感じたのだろう。

でも、私には「全てひっくるめて」親友でいてくれるMちゃんの愛情が伝わってきた。

母の支配からの卒業

約25年前。思い切って親元を離れたから、今の私がある。ひとり暮らしを始めたあの日、私の「卒業」が始まった。

・人を頼れない
・人の顔色を見て、本音を飲み込む
・自分にも、他人にも完璧を求める

上京したばかりの私は、生きづらさのかたまりだったように思う。トゲトゲしていて、人に頼ることや休むことは「悪」だと思っていた。甘えられないばかりに、損をしてきたことは数知れず。

今の私は少し違う。

つらいときにつらい、嫌なものには「いや」と言える。
夫が「天真爛漫」と称したほど、喜怒哀楽がはっきりしている。

人は変わる。
多分みんな、大なり小なり生きづらさを抱えている。
自分だけがつらいのではない。

生きづらさを抱えているのは、母も同じだ。父だって。もしかすると兄も。

母の生い立ちや抱えているものを知り、お母さんではなく、「ひとりの人間」として眺めたとき。「オカンもつらかったんやね。そんな中、よくここまで育ててくれたね」と、遠い位置から赦せたように感じる。

"失敗"が許されにくい社会

「完璧な人間はいない」

一方で、「完璧」を求められる現実もある。

次男が生まれてすぐ、ほとんど眠れていない私がうとうとした隙に、3歳の長男が外に出た。

コロナ禍で産後のサポートはなく、夫がたまたまジムに行っていたときの出来事。ひとりで遊ぶ(家の前でね)長男を見て、放置していると思われたのだろう。

児童相談所に通報された。

声をかけず、「虐待」と決めつけて通報する。悪気があったわけではないと思う。ただ、親だからといって四六時中子どもから目を離さないなんて、不可能だ。

「目を離さないように」「虐待と思われないように」

知らず知らずのうちに、自分を追い込んでいく。スーパーでチョロチョロする長男を叱り、「もういや!」と投げやりになりかけたとき。

「どこも一緒ね〜」

やり取りを見ていたおばちゃんが、ニコッとつぶやいた。この一言で、ピンピンに張った糸が少しだけ緩んだことを覚えている。

生きづらさは、宝物?

生きづらさを感じるのは悪いことじゃない。

約40年に渡るパニック障害を「宝物」と称した作家・宮本輝さんの言葉に、希望を感じる。

さて、私がパニック障害という病気によって得た多くの宝物についてだが、もはやそれをひとつひとつ具体的に述べる必要はなさそうだ。他者の痛みが少しはわかるようになったということだけでも充分ではないだろうか。

それからもうひとつ、心の力というもののすごさを我が身で知ったこともつけくわえておく。

ああ、さらにもうひとつ、悪いことが起こったり、うまくいかない時期がつづいても、それは、思いもかけない「いいこと」が突如として訪れるために必要な前段階だと信じられるようになったのだ。

宮本輝さん著「いのちの姿 完全版」

私自身、40年近く「うまくいかない」を抱えて生きている。気の持ちようだとか、心が弱いとか、感受性が強すぎるとか。まぁ、好き勝手言われてきたもんだ。笑

さすがに付き合い方は分かってきたもんの、宮本さんのように「宝物」とまでは思えない。

だからこそ、自分を深堀ってみる。

深堀った先に何が見えるのか、楽しみだ。


・ひとまず、平日1時間のペースでエッセイを書く
・1日1本と決めずに、書き上がったタイミングでアップする
・やりながら「しっくりする方法」を見つける

ひとりごと














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