当たり前の景色が見れなくなってから
どうもただの学生、ゆまのこです( ・ω・)
先日、人生で初めて目の血管が切れ、
内出血が起こり、
瞬きが若干痛いです。
怪我をしている目のほうにシャンプーが入った瞬間、
「終わった...」
と思いました(笑)
さて、今回も目のことについてです。
このnoteを書き始めて、視力障害のことを思い出していると、
たくさんのことがあったなと懐かしい感情に浸っています。
当たり前の景色というものは、
空です。
私は空を見ることができません。
ドクターストップがかかっているわけじゃないですけどね。
極力見たくありません。
空を見ても
まぶしいという思いと、
ごみくずが浮いているという感情しかありません。
日が沈みかかっている夕方や夜空は見れます。
光の問題なんでしょうね。
飛蚊症の症状がある私は、
気づいたころには
空にごみのような浮遊物が見えました。
今では大丈夫ですが、
一時期、電子辞書の光でさえまぶしく感じ、
学校では仲のいい同級生に事情を説明し、
四六時中カーテンを閉めてもらっていたほど、
光を受け付けなくなりました。
空を見るなんて、自殺行為に近いぐらいでした。
いろいろと安定し、日常生活が元通りぐらいまで回復しましたが、
空がきれいだと思わないことは治りませんでした。
飛蚊症の症状は未だよくならず、
最近では視界に黒い物体が現れるようになりました。
それでもやっぱり、きれいなものは見たいです。
写真でも、動画でも、
きれいなものが見れたら、それでいいと思います。
人よりはいい聴覚により、
音は聞き分けられます。
お正月にある格付けチェックでは、
音楽の問題を外したことがないぐらい音を聞き分けられます。
楽器の音なんて、どの楽器でもピアノの音に変換できるぐらいまでになりました。
でも、ひとつ欲を言うなら、
もう一度、きれいな空を見たかったです。
もし、見れるのが最後だとわかっていたら、
目に焼き付けるぐらい、
忘れられないぐらい、
ずっと見ます。
当たり前の光景から、
最後だとわかっていたらどうするかという話までもっていく私の文章は
いつになったらよくなるのでしょうかね?(笑)
今回はこの辺で、
ゆまのこでした~( ・ω・)