ドラマ『トリック』 #好きな物語
ドラマ『トリック』のシリーズが好きだ。
自称売れっ子マジシャン・山田奈緒子と、天才物理学者・上田次郎が、超常現象や霊能力、村の因習といった奇妙な事件に巻き込まれ、そのインチキを暴いていくというストーリーだ。
金欠で強欲で疑い深く見栄っ張りな山田と、自信家で騙されやすく惚れやすく気が小さい上田。そのふたりによる、ボケとツッコミの掛け合い。ケンカとボケとボケとボケの重なり。相反するふたりの関係性の変化やそれぞれの成長(!?)。凸凹コンビがインチキを暴いていく過程。
そして二人に加えて、現れる強い特徴、クセを持った登場人物たち。
そのキャラクター達が作り出す、奇妙な世界と、独特の空気…。
最高! 何度見てもおもしろい。全話解説したいくらいだ。
だが、ぼくがこの物語が好きなのには、別の理由がある。
それは、この3つのことが描かれているからだ。
・「人の幸せとは何か?」という問いを投げかけている
・対立構造に、どちらが正しくて間違っているかではなく、グレーを描いている
・インチキの裏にある、ドロッとした人間の感情が描かれている
「人の幸せとは何か?」という問いを投げかけている
山田と上田は、自称霊能力者やインチキ占い師など、彼らが人々を騙すトリックを次々に暴いていく。論理的に、科学的に、超常現象など存在しないと彼らの悪事を証明していく。協力し合い、絶体絶命を乗り越え、解決する。痛快だ。
だが、それだけでは終わらないのが、この物語のおもしろいところ。
印象的なのは、第1シリーズの「母之泉」や「千里眼を持つ男」の話だ。
山田と上田が、教祖や占い師のインチキを明らかにした結果、彼らを信じ宗教団体に入信した者、占い師の言葉を信じていた者たちを奈落の底に落とす結果となるのだ。
彼らの中には、重い病気や怪我、心理的・精神的な病、身の回りの不幸など、さまざまな理由で生きる希望を見失った人もいただろう。
人との関係に苦しみ、居場所を失い、孤独な人もいただろう。
彼らは、教祖や占い師の言葉に救われ、コミュニティに救われ、居場所を見つけ、新たに希望をもって生きていた。
教祖のウソを暴くことは、そんな彼らの希望、生きがいや役割、コミュニティを奪う結果となる。
人を本当に救ったのはうそを暴いた者か。それともうそをついた者か。
人を幸せにするのは宗教的な教えか、それとも科学的な事実なのか。
そもそも、科学は人を幸せにするのか?
そんな問いが、全体を通して投げかけられている。
対立構造に、どちらが正しくて間違っているかではなく、グレーを描いている
マジックには、かならず種がある。山田と上田は、論理的に科学的に、インチキを暴いていく。結果的に、超常現象や霊能力、村に伝わる因習といったものに「ノー」を示す。
しかし、物語は簡単にそんなものは間違っているという結論で終わらせることはない。
たとえば、「シャーマン」と呼ばれる人々は、なぜ存在して、どのような役割を果たしてきたのか、超能力と呼ばれる力とはいったいなんだったのか、なぜその力が必要だったのかを、ふたりの会話や物語全体を通して描く。
なぜ、その村に今では理解できない因習が残っているのか。それも過去の出来事や彼らがどのように生きてきたのか、何を大切にしてきたのかを描くことによって、単なる時代遅れのいらないものとしては描かない。
「科学」と「超常現象」、「現在の価値観」と「古くからの因習」といった対立構造に、どちらが正しいか間違っているか、白か黒ではなく、グレーを描く物語に、ぼくは惹かれる。
インチキの裏にある、ドロッとした人間の感情が描かれている
登場する霊能力者や占い師など、彼らの動機には非常に心が揺さぶられるものがある。
シーズン1の「パントマイムで人を殺す女」は、なんとも後味が悪い。ネタバレをしてしまうと、双子を利用したトリックによる犯行なのだが、実際の犯行を行った「妹」に対して、協力関係だった「姉」は、じぶんには何にも罪はないと言い張る。パントマイムをしただけだと。その会話の途中、「妹」は、その場で「姉」に毒殺されてしまう。姉の犯行は証明できなくなってしまった。双子でありながら、冷酷で、おぞましいほどの人間の怖さが描かれる。
シーズン2の「サイ・トレーラー」の犯人は、超能力者として登場し、トリックによって犯行を重ねていく。しかし、彼の目的は、自分の娘を殺した犯人への復讐だった。インチキ霊能力者から、深い憎しみの感情をまとった普通の人として再登場する犯人の表情や姿は、とても印象的だ。
***
正直言えば、この物語のファンはすごくたくさんいるのを知っているから、なぜ好きなのかを書くのはとても怖い。
書いた内容も間違っているかもしれないし、好きなこと自体を疑われる恐れもあるかもしれないと。ただ、自分が好きな理由を思い出していく過程は、すごく楽しい時間だった!!