『ホーンテッドマンション』を語る!【2023年公開作品】
今回はnoteにて初めての新作映画評論。
ということで、ディズニーランドでも人気のアトラクションを実写映画化した『ホーンテッドマンション』の感想を語っていきたいと思います。
ちなみに、この『ホーンテッドマンション』はエディ・マーフィ主演で2003年にも映画化されているので、2度目の映画化としても注目されています。
『ホーンテッドマンション』について
基本データ
監督 ジャスティン・シミエン
脚本 ケイティ・ディポルド
原作 ウォルト・ディズニー「ホーンテッドマンション」
出演者 ラキース・スタンフィールド/ティファニー・ハディッシュ
ジャレット・レト 他
あらすじ
この題材、ホラーにするのか、コメディにするのか?
ギレルモ・デル・トロ監督作なら、エグかっただろう
ディズニーアトラクションを実写映画化する流れは、時たまディズニーがやる手法の一つだ。
例えば「カリブの海賊」の映画化した『パイレーツ・オブ・カリビアン(2003年)』
「ジャングル・クルーズ」を映画化した同名作品(2021年)。
さらにはディズニーランドのエリアの一つである「トゥモロー・ランド」
これも同名映画化した作品(2015年)などもある。
この『ホーンテッドマンション』も元々はディズニーランドのアトラクションの一つだ。
ちなみに東京ディズニーランドでは「ファンタジーランド」という区画で稼働しているアトラクションだ。
さてこの『ホーンテッドマンション』は2003年に一度映画化されていたが、あまり結果としては振るわず、その後2010年頃には、再度映画化したいという計画が持ち上がっていたそうだ。
その時、監督として白羽の矢が立ったのがギレルモ・デル・トロだ。
恐らくは2006年公開の『パンズ・ラビリンス』などでの成功を買われての抜擢だったと思われる。
しかし、結果デル・トロによる映画化計画は頓挫する。
何故かといえば、あまりにも「怖すぎた」からだ。
デル・トロ作品を知っている方ならわかると思うが、彼はどちらかといえば、「悪趣味」なモンスター造形などを得意とする監督だ。
もちろん映画監督としての手腕は確かで、2017年『シェイプ・オブ・ウォーター』で作品賞や監督賞を獲得している。
だが、確かに彼が監督をしていたら、もっとおどろおどろしい作品になっていて、それはそれで見たかったが、確かにディズニーのファミリームービーを作りたいという路線からは大きく外れたものが出来たであろう。
そんなこんなで、結局映画制作は頓挫し、そこから紆余曲折を経て、2021年にようやく撮影にこぎつけたのだ。
ホラー映画という路線は捨てる
この作品の原作となったアトラクションの『ホーンテッドマンション』
これが一応「ホラーテイスト」な乗り物だということで、今作品の方向としては「ホラー」というジャンルにするということもできただろう。
しかし前述したように、デル・トロではあまりにも「ホラーがすぎる」からダメだとディズニーは判断。
さらにディズニーは「ファミリームービー」要素を入れたいと考えたはずだ。
恐らく、この「ホラー」と「ファミリームービー」という非常に食い合わせの悪い要素を、いかに折衷するかを悩んだはずだ。
個人的にこの作品を見て感じたのは、ホラーという要素は完全に捨てた。
映像・演出で観客を怖がらせようというつもりはハナからない作品だと感じた。
出てくるゴーストも基本的には「ポップ」な雰囲気だし、舞台となる館も「おそろしさ」というよりも、「面白い場所」であることを強調した作りにしていた。
つまり、完全に「ホラー」という路線は諦め、「ファミリームービー」として制作されたということだ。
「死後」の世界への渇望を乗り越える
さて、そんな今作品だが、テーマはズバリ「死後の世界への渇望を乗り越える」ことだ。
そんな物語の主人公であるベン。
彼の過去の回想から物語が始まる。
妻との最初の出会い、そこから順風満帆で幸せな時間を過ごしているのかと思われたが、どうやらそうでもない。
ニューオリンズで観光案内をしながら生計を立てているが、妻と縁を深める要因となった「オカルト」には全く興味を示さない。
そんな彼の元にいかにもキナ臭い神父ケントが現れる。
ケントはどうやらギャビーとトラヴィスという親子から仕事を託されていることが明かされる。
というのも、彼女たちが購入した新居でゴーストたちが我が物顔で闊歩しており、そこから逃げようにも、逃げられず、神父ケントに除霊を依頼したのだ。
ケントはベンがかつて「暗黒物質」を撮影、つまり「見えないものを見ようとする」技術を持っていたことで、彼を「屋敷のゴーストの除霊」という仕事に誘う。
最初は半信半疑だったベンだが、その屋敷に足を踏み入れてしまったことで、身の回りで不思議な出来事が起こるようになり、幽霊の存在を信じることになる。
ケントはさらに霊媒師、歴史家をチームに引き入れ、全員が幽霊に祟られてしまい、ついに一堂が決心してゴーストと戦うことになる。
この一連の動きをドタバタコメディで描くのが特徴だ。
されには「なぜ屋敷が呪われているのか?」その真相に迫っていくミステリ要素もあり、見応えはある程度担保されている。
特に今作品はヴィランであるハットボックス・ゴーストが、「屋敷の呪い」を完遂させるために「1000人目の生贄」を求めており、その毒牙にベンとギャビーの息子トラヴィスがかかってしまいそうになる。
この2人の共通点は「大切な存在が死んだ」という点だ。
そのため、できるならばそんな存在と再び会いたいという、ある意味で「死後の世界の渇望」を持っているのだ。
最終的にハットボックス・ゴーストが狙うのは幼いトラヴィスだ。
彼は作中でも学校で友達が少ないなど、悩みを抱えており、そこを突かれて「死んだ父」の幻影を追い求めてしまうようになる。
そんな彼を救うのがベンだ。
ベンもかつて愛する妻を失い、なんとかその姿を再び目にしたいと願っていた。
しかし普段は「死後の世界などない」と言いながらも、その目はどこかに妻の姿を求めていたのだ。
しかし、ベンは「死後の世界ではなく、今」を選び、トラヴィスを救うことになり、ハットボックス・ゴーストの狙いを挫くことに成功する。
さらに霊媒師のハリエット、終盤で詐欺師神父だったことが明らかになるケント。
この2人は「自分が本物の霊媒師・神父」ではないこと、つまりこうした存在が元来持つべき力がないことを自覚はしている存在だ。
いわゆる偽物だったはずの2人が、勇気で「本物」になっていく姿は非常に魅力的には描かれていた。
このように勝利のロジックに「死後の世界」への渇望を乗り越えること、真の意味で「本物」に近づいていく姿を描くなど、確かに見応えはある。
もっと面白い展開もできたでしょ!?
というように、確かに見どころはある。
だが、どうしても解せないのは、中盤以降屋敷から自由に主人公たちが抜け出せるということだ。
具体的にはハットボックス・ゴーストの生前の姿、アリエスタ・クランプの生前の持ち物を探す展開。(クランプ邸での展開)
ここまで「限定的な空間」でのやり取りがこの作品の面白さのキモだったが、それが崩れてしまう。
しかも、ここではゴーストなどの、妨害もなくシルクハットを発見するという。
ここで外の世界での展開を見せることで、「逃げられない屋敷」という緊張感なくなるし、そもそも敵側はもっと必死に阻止すべきではないだろうか?
(屋敷が襲いかかってくるなど工夫はあったが、そもそも出られなくするなど)
例えば、この弱点となるアイテム。
屋敷の中でゴーストたちと争奪戦をすれば盛り上がっただろうが、それが簡単に入手出来てしまう勿体なさ。
明らかに上手くないし、雑な展開に見えてしまう。
ここで残ったギャビー、ハリエット、ブルースが居残り組になる。
展開としては、こっちはこっちで、ブルースが体を乗っ取られていたが、ベンたちのパートと完全に独立・分離しており、あまり緊迫感がないとも言える。
もちろん、あまり「怖い」ということを作品で強調したくない。
そういう思いが作り手にはあったからの展開だと言えるが・・・。
この体乗っ取りも。例えばハットの争奪戦のギミックにしてしまうなど、工夫することで終盤のクライマックスまで一気に駆け上る感覚を作り出せれば、もっと良かったのではないか?
例えばブルースの体を乗っ取ったハットボックス・ゴーストがトラヴィスに「父親と会わせるから帽子を渡せ」という二択を迫るとか、このギミックをハットを入手する展開や、クライマックスをもっと上手く繋げられなかったのか?
などなど、後半の展開はもっと面白くなったのではないか? という疑問は残ってしまった。
アトラクションの実写としては「大成功」
ということで、映画としては「面白いところもあれば、微妙なところもある」という感じの『ホーンテット・マンション』
しかし、最初にも言ったが、この作品は「アトラクションの映画化」だ。
よく考えてもらいたいが「アトラクションを映画化する」なんてこと、普通にディズニーは言い出すが、それがそもそも異常だ。
普通「映画をアトラクション化」するものだ。
こんな芸当が出来るのは、現状ディズニーだけの強みだろう。
それには、各アトラションに膨大な「裏ネタ」「ストーリー」を仕込んでおり、アトラクションに乗っているだけでは気づかれない、世界観の広がりを持たせており、知れば知るほど「なるほど」と思える要素がそもそも散りばめられているからだ。
ただ、それはあくまで「知っていれば楽しめるネタ」だ。
そういうのが映画の中に散りばめられていたとしても、正直僕はわからないから、その全てを楽しめたわけではない。
これらはあくまで「ファンへ目配せ」に他ならない。
僕が感心したのは、それよりもアトラクション内のギミックの再現だ。
例えば伸びる部屋など印象に残るシーンも多く描かれていた。(これも詳しい人がいれば、全ての要素を楽しめただろう)
個人的には椅子が登場人物を屋敷から追い出そうとするシーンで、「あぁこれライドっぽい」という、アトラクション感を感じられた点は良かった。
例えば「カリブの海賊」の「パイレーツシリーズ」は正直、アトラクション感は全くない。
「ジャングルクルーズ」も「トゥモロー・ランド」もこうした「ライド感」は皆無だった。
こうした要素が「アトラクション」の「映画化」として最も正しい姿勢だったと言えるのではないか?
まとめ
映画として魅力的な人物が出てくるなど面白い作品であることは間違いない。
しかし映画として、もっと終盤の展開などよくできたのではないか?
という疑問が残る点も確かにあった。
ただ、アトラクションのライド感や、どストレートな再現シーンなど、実はこれこそが「アトラクションの実写化」という企画に必要だったものではないか?
ある意味で、変なディズニー特有の企画に、明確な正解をもたらした作品だったと言えるかも知れない。
惜しまれるのは、僕はディズニーランド系統の知識がまるでないので、恐らくは100%この映画を楽しめてはいないと思うので、ぜひその辺りの知識が深い人に色々教えてもらいたいものである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?