『デジモンアドベンチャー02 THE BEGINNING』を徹底評論
今回は新作映画評論。
ということで、恐らく子供の頃夢中になった方も多いのではないでしょうか?
「デジモンシリーズ」の最新作。
『デジモンアドベンチャー02 THE BEGINNING』を今回は評論していきたいと思います。
『デジモンアドベンチャー02 THE BEGINNING』について
基本データ
公開 2023年
監督 田口智久
脚本 大和屋暁
声の出演 片山福十郎/野田順子/ランズベリー・アーサー/高橋直純/緒方恵美 ほか
あらすじ
なかなか攻めた作劇
デジモンシリーズを簡単に振り返る
最初に「デジモンシリーズ」を簡単に振り返っておきたい。
というのも、シリーズ最初の作品は1999年に劇場映画として公開されていて、非常に歴史の長いシリーズになっているからだ。
現在では売れっ子監督となった細田守監督の初監督作品『劇場版 デジモンアドベンチャー』が1999年に公開され、一部映画ファンの間では話題となった。
しかし一般的に「デジモンブーム」が起きたのは、1999年から2000年にかけて、テレビアニメ版『デジモンアドベンチャー』が放映。
自分も放映時小学生だったが、完全どハマりしたし、「小学校の頃好きだったアニメは?」と聞かれたら間違いなく「デジモン」と即答するし、そういう方も多いのではないか?
そして、テレビアニメ放映後の2000年春、アニメ版の後日譚で細田守の名前を一躍世界に轟かせた、大傑作『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』が公開され人気を確固たるものにした。
そして2000年から2001年にかけてシリーズ続編『デジモンアドベンチャー02』のアニメが放映。
こちらは「デジモン人気」がピーク時に放映されていたこともあり、グッズなどの収益などでも好成績を収めた。
ちなみに『デジモンアドベンチャー(以下「無印」と呼称)』と『デジモンアドベンチャー02(以下「02」と呼称)』では世界観などは共有されているが、主人公が変更されていて、今回の作品は「02」のキャラクターに焦点を当てている。
ちなみに「無印」「02」は作劇も実は大きく変化していて。「無印」はデジタルワールドと呼ばれる異世界を主人公たちが旅をする冒険活劇スタイルだったが、「02」は基本1話完結型、連続性は薄い作劇になっている。
ちなみに今にして思うと「無印」は基本コンセプトがジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』で、主人公たち全員に均等に出番・見せ場がある。
最も顕著なのは「デビモン」「ピエモン」という作中屈指の強敵にタケルと「パタモン」という作中最もひ弱なキャラが勝利するなど、出番の均等性やドラマの作り方は非常に考えられていた。
しかし「02」はそもそも「1話完結型」で、連続性が希薄。
ストーリーも突然の飛躍などもあるなど、今から見れば少々荒いてんもある作品だったと言わざるを得ない。
その後「02」としてアニメ版の後日談である劇場版「デジモナドベンチャー02 ディアボロモンの逆襲』(2001年)が作られたのち、シリーズとしては『デジモンテイマーズ』(2001年から2002年)『デジモンフロンティア』(2002年から2003年)と続くが、「無印」「02」とは別世界観の作品が作られる。
その後「デジモン」人気は下火になっていき、一般的には定着することなく休止・再開を繰り返すコンテンツになった。
ぞんなシリーズだが「02」の最終回から15年後、2015年突如『デジモンアドベンチャーtri』シリーズが劇場作品として2018年までの3年間で6部作として公開。
しかし、このシリーズのいい点は「懐かしさ」だけ。
つまり「懐かしさ」というノスタルジーをくすぐる以外の価値の提供が全くできておらず、トータルで何を描きたかったのか全く意図の見えない作品になってしまった。
全体的な評価としては「失敗作」というに相応しい出来としか言いようがない残念なシリーズだった。
そんなこんなで、「デジモン」に対して冷め切った状態で2020年『 デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』が公開。
個人的には冷め切ったデジモンへの思いを、再び燃え上がらせてくれる傑作だったし、きちんと「無印」のキャラクターの成長を描き切ったという意味でこれ以上ないシリーズの締めくくりだと当時、大絶賛した。
そんな「デジモンも綺麗に終わった」と思っていた頃『デジモンアドベンチャー02 THE BEGINNING』の制作公開が決定。
若干の恐怖も抱きつつ、それから3年。
さて、それを見てきてどうだったのか?
それが今回の本題になる。
triの反省が見える作品
今回の作品は「tri」の失敗から大きく学んだ作品だったのではないか?
そもそも「tri」の失敗とは何か?
それはゲストキャラクターの扱いだ。
この「tri」ではゲストキャラクターに非常に感情移入しにくく、何のために出てきたのか、よくわからないのだ。
そもそも「無印」「02」とデジモン世界にいる既存のキャラクターは十分に関係値などの描写が重ねられていて、我々観客はそれを知っている状態で見る。
そん場合のゲストキャラの役目は、今まで主人公たちがどのように友情を築いたのか?
それをゲストキャラに追体験させる形で描写することで、逆説的に既存キャラの説明にもなり得るのだ。
しかし「tri」はそこを十分に描写することなく、既存キャラの太一たちとデジモンの再度関係地構築を「記憶喪失」という力技で描写せざるを得ない状況にし、今度は釈足らずになるという迷走をした。
そのせいでゲストキャラの深掘りが全くできないままに、最終章までやってきた。
そのため、十分にゲストキャラの絆が描けていれば、その存在を倒さなければならない太一たちの本当の苦悩が描けるにも関わらず、そこがすっぽり抜け落ちている分、形だけ悩んでいる図式にしかならない。
見ているこっちとしては「大してアイツらのこと知らないから、倒しちまえよ」と言わざるを得ない、塩展開になってしまったのだ。
しかし今作はきちんとそこは学んでいる。
今回のゲストキャラは大和田ルイとそのパートナー「ウッコモン」だが、今作はその関係を深堀していくことに終始しており、主人公大輔たちは基本的にはそれを見守る存在として描写されている。
そのため80分という尺間でも彼らの関係性や、過去などを描写しきれており、悩むルイを大輔たちが見守り、引っ張る存在として、「02」のTV版から成長している彼らの姿を描けているのだ。
中盤の展開は完全ホラー
そんなゲストキャラのルイを中心に描かれる今作品。
特徴は中盤はルイを演じる緒方恵美の演技も相まって、まるでホラー作品かと思わされるような展開が続く。
特にウッコモンとの「約束」の件とその顛末には驚かされた。
意識不明の父親、その看護に疲れ果てた母、そして彼女から日常的に虐待を受けていた4歳のルイ。
そんな彼の前に現れたウッコモンは、ルイの幸せのために行動をする。
目ざめる父親、自分を殴らない母。
いじめっ子もルイをいじめなくなり、友達も増える。
だが、それは全てウッコモンが他人を洗脳していたからだ。
ここも演者釘宮理恵の、可愛らしい声で恐ろしいことをさらっという、アンバランスさが非常に見どころでもある。
この一方的に幸せを押し付けてくる、捻じ曲がった愛情表現は演者も相まって『呪術廻戦0』でのリカちゃん的でもあるし、契約したら最後、世界が文字通り歪んでしまう展開は『まどか★マギカ』におけるキュウベェ的だとも言える。
その全てが明らかになり、8歳になったルイはウッコモンを拒絶。
結果片目を失うルイ、その後ウッコモンが自分の片目を強制的に移植する展開、だれがどう見てもホラーにしか見えない展開は、見ていて驚かされた。
一度は消滅したウッコモンが、2012年2月29日に巨大なデジタマから孵化し、16回目のルイの誕生日を祝うために巨大化する展開も、非常に「歪んだ愛」の表現として秀逸だったのではないか。
今回のデジモンはシリーズで初めて「ホラー」要素をふんだんに取り入れるなど、今までのシリーズには見られない展開を見せている。
そんなルイの拒絶と、ルイに愛されたいウッコモンのすれ違いが描かれる今作品。
要はウッコモンの思う幸せの形と、ルイの思う幸せは違う。
そのことをきちんと話し合うことなく、ルイはウッコモンを拒絶していた。
ただルイの心情を慮ると、これは仕方ないことではあるが、しかし2人の間には確かな友情もあったわけだ。
だからこそ、「これは自分の思う幸せではない」ということをきちんと伝えるべきだと大輔は告げ、ルイとウッコモンの間を取り持つために行動をする。
彼らは今作で、ウッコモンを倒すか否かで悩むようなことはしない。
ルイとウッコモンが話し合うことで物事は解決すると信じている。
それが不可能な場合は「倒す」ということに明確な意思を持ち、迷いがないのだ。
この辺りのキャラとしてのストレートさは、「02」メンバーの持ち味だとも言える。
大輔たちは、確かに一瞬ウッコモンとの戦いを躊躇するシーンも描かれるが、これまでの経験則できちんと大人になっており、自分たちにしかできないことに向き合っている。
つまりある意味で成長し切っているのだ。
これは「無印」と「02」のキャラクターの実は大きな違いなのだ。
成長を受け入れた者、受け入れない者
そもそも『デジモンアドベンチャー』『デジモンアドベンチャー02』で最も描かれているのは何か。
それは「成長」だ。
デジモンというのは人間の子供とパートナー関係となり、その子供たちが持つ「未来への可能性」を力として「進化」をする。
その「未来への可能性」が潰えた段階、つまり「大人」になった時点でその関係は終わる、それが前作『 デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』で描かれた。
そもそもどうしてこの展開を『デジモンアドベンチャー』の太一やヤマトは辿ることのなったのか?
それは彼らはTV版で実は「成長」を拒否した存在だからだ。
人間の成長に最も寄与する「別れ」
子供時代の象徴であるデジモン、そんな存在と主体的に別れる、それこそが「成長」の鍵になるはずだった。
例えば『くまのプーさん完全保存版』のラストでロビンがプーと自らの意思で「別れ」を告げるシーンはその最たるものだ。
この作品で彼は「子供時代の象徴であるプー」と自ら別れを選択し、成長したのだ。
しかし『デジモンアドベンチャー』の最終回で太一たちは、一度は「別れ」を拒否して、デジタルワールドに残る選択をした。
つまり「成長」を拒否したのだ。
ただ、物語の展開としては、ある意味で流されるまま「別れなければならない」展開になり、彼らは真の意味で「主体的な別れ」を経験しなかった。
だからこそ、「ラスエボ」では「主体的に別れの決意」をさせたのだ。
つまりTV版最終話で彼らが行えなかった「成長」するために必要な通過儀礼を描いたのだと言える。
しかし大輔たち「02組」は違う。
TV版の最終決戦。
世界は絶望に満ち「夢」を見失い囚われた世界中の子供達。
そんな彼らに大輔は「自分は大人になりたい」「夢がある」と宣言するのだ。
つまり彼は「成長」を受け入れているし、「成長」したいと思っているのだ。
つまり彼らは「成長」している、だからこそ続編となる今作で、そこを深堀する必要はない、ルイとウッコモンの関係を見て変化するのではなく。をあくまでルイを支える立場で登場するのだ。
この迷いのなさ。
これこそが「02組」の良さであるし、太一たちとの大きな違いでもあるのだ。
きちんと「02」最終決戦を超えた先の作品として、大輔たちが成長している姿で描かれている点だけで、個人的には今作は大納得の作品だったと言える。
デジヴァイスの消滅の意味
そして今作最大のポイントはデジモンの象徴的なアイテム「デジヴァイス」が消滅する。
このデジヴァイスは元々はデジモンとパートナーの子供達をつなげるキーアイテムだった。
実際に『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』では、デジモンと別れる際にデジヴァイスが破損するという描写があった。
しかし、今作では真の意味で絆を結んだパートナーとデジモンの間に「物体」としての象徴的アイテムは必要ない、「心」が繋がっていれば、絆は途切れないという結末を用意した。
これはある意味で形のない絆に関係性が昇華したとも取れるし、ある意味で「デジヴァイス」という鎖からデジモンも人間も解き放たれたとも言える。
しかし、それが可能なのであれば『 デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』のパートナー消滅と微妙に齟齬が発生するし、前作との流れを考えてら若干不自然な設定ではある。
そして全てのデジモンと人間の出会いは「ウッコモン」がもたらしたということも今作で明らかになるが、これもまぁ設定としては非常に無理があるというか・・・・
そこまでの大風呂敷を広げずとも、もっとシンプルな話にしてしまった方が良かったのでは? と疑問を持たざるを得ない点もある。
一応「tri」で明らかになった「ホメオスタシス」的な存在とウッコモンが繋がっているということは描かれるが、それも首を捻らざるを得ない。
もしくは「ホメオスタシス」の正体がウッコモンだったのか?
この辺りは「tri」の設定とあえて絡めなくても良かったのではないか。
まとめ
とまぁ色々言ってきたが、個人的にはルイの独白のシーンが緒方恵美の演技力も相まって非常に見応えがあった。
パンフレットを読むと、一連のシーン緒方さんとしては「やりすぎた」と思っていたが、製作陣はむしろ覚悟を決めたということで、一連のシーンが非常に見応えあるものになっていた。
まぁ個人的には「02」はジョグレス進化だと製作陣は言っているが、いやいや「デジメンタルアップ」だろ! と言いたいし、まさか一度もデジメンタルを使わないのは残念だった。
とにかく言いたいことがないわけではないが、「02」はこうだよね、というある意味軽い感じのノリなども非常に好意的に見れる、そうした作品だった。
もう流石にこれで『デジモンアドベンチャーシリーズ』は終幕だと思うので、最後の劇場版をぜひチェックしてみてはいかがでしょうか??