記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

熱量が半端ない『マッドマックス:フュリオサ』評論

今回は世界的な大ヒット作品「マッドマックスシリーズ」
中でもカルト的人気となった『マッドマックス:怒りのデスロード』のスピンオフ作品、『マッドマックス:フュリオサ

こちらを見てきましたので、感想を語っていきたいと思います!


マッドマックス:フュリオサについて

あらすじ・解説

2015年に公開され、日本でも熱狂的なファンを生んだジョージ・ミラー監督のノンストップカーアクション「マッドマックス 怒りのデス・ロード」。
同作に登場した女戦士フュリオサの若き日の物語を描く。

世界の崩壊から45年。
暴君ディメンタス将軍の率いるバイカー軍団の手に落ち、故郷や家族、すべてを奪われたフュリオサは、ディメンタス将軍と鉄壁の要塞を牛耳るイモータン・ジョーが土地の覇権を争う、狂気に満ちた世界と対峙することになる。
狂ったものだけが生き残れる過酷な世界で、フュリオサは復讐のため、そして故郷に帰るため、人生を懸けて修羅の道を歩む。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」ではシャーリーズ・セロンが演じ、強烈な存在感とカリスマ性で人気を博した女戦士フュリオサを、今作では「クイーンズ・ギャンビット」「ラストナイト・イン・ソーホー」などで人気のアニヤ・テイラー=ジョイが新たに演じた。

ディメンタス将軍役で「アベンジャーズ」「タイラー・レイク」シリーズのクリス・ヘムズワースが共演。

1979年公開の第1作「マッドマックス」から「マッドマックス 怒りのデス・ロード」まで一貫してメガホンをとっている、シリーズの生みの親であるジョージ・ミラーが、今作でも監督・脚本を務めた。

基本データ

  • 監督 ジョージ・ミラー

  • 脚本 ジョージ・ミラー/ニコ・ラサウリス

  • 出演者 アニャ・テイラー=ジョイ/クリス・ヘムズワース/トム・バーク

フュリオサ=怒り

物語は至ってシンプル

この作品は1979年に公開された『マッドマックス』から始まるシリーズの第4作目「怒りのデスロード」

そこでほぼ主役級の活躍を見せる女戦士「フュリオサ」が主人公の作品だ。

まず最初に今作の特徴を述べるが、「怒りのデスロード」ともある意味で共通する点でもあるが、映画として物語が「至ってシンプル」な作りになっている。

そして主人公のフュリオサがほとんど喋らず、演者であるアーニャ・テイラー=ジョイが表情のみで物語を語っていく。
わずか30行程度のセリフしか2時間半の間に発する事なく物語を語り尽くしてしまう、振り返って考えてみると、異常な映画だとも言える。

さらに物語の構造も極めてシンプルだ。
終末戦争後の荒廃した世界に残る豊かな自然がある「緑の土地」で生まれさだったフュリオサ。

幼い彼女がそこからディメンタスに攫われる。
フュリオサを助けに来た母を殺され、彼に復讐を誓い、それを成し遂げる物語だ。

ただ、それが異常なほどにまで「マッド=狂気」に満ちた世界で繰り広げられる。

シリーズ一作目と構造近い

さて、そんな「フュリオサ」だが、復讐劇という意味ではシリーズ一作目1979年公開の『マッドマックス』と近い物語構造を持っている。

シリーズ一作目では主人公のマックスが、近未来の荒廃したオーストラリアで警察官として暴走族と戦う姿が描かれる。
話は逸れるが、この一作目とそれ以降で、この世界のあり方は大きく変わってしまっているのも、このシリーズの特徴だ。

さてこの一作目ではマックスが暴走族のトッカータ一味に仲間を殺され、そしてあろうことか妻と子供を殺されてしまい、ついに警察を辞めて、彼らに復讐を遂げるという物語になっている。

今作でのフュリオサもそういう意味では「同じこと」をする。

そこに至る内容はまるで違うのだが起きていることは同じ。
そして、その後2人がたどる道も同じとも言える。

というのも、この『フュリオサ』という作品では「復讐」が描かれるのだが、それはあくまで「個人」の「怒り」や「苦しみ」をぶつけることだ。
つまり個人の意思での行動だとも言える。

この作品で最も印象深いのは、彼女がずっと復讐をしたいと思っていたディメンタスが余りにもしょうもない男だった点だ。

映画冒頭ではそれなりにカリスマ性を持っているように見えるディメンタスだが、「ガスタウン」の利権を運よく手に入れてから、住民にはそっぽむかれ、部下からも少しずつ冷たい目で見られていく。
そういう意味で映画が進んでいくと、なんとしょうもないヤツであるかということかが分かってくる。

相対的に「怒りのデスロード」でヴィランとなるイモータン・ジョーのカリスマ性が際立って描かれもするほどにだ。

この作品の最後にフュリオサは「私を覚えているのか?」とディメンタスを追い詰めるが、彼は何も覚えてもいない。

弱者を踏み躙って傷つけた男は、傷つけられた側のことなど何も覚えてもいないのだ。
その後彼女が文字通り、ディメンタスを養分として生かすことで復讐を成し遂げるというのも、人を養分として吸い上げていたものの末路としては皮肉が効いていたとも言える。

「怒り」の果てに

さて、先ほどから語ったように、マックスもフュリオサもある意味で「個人の恨み」はきちんと晴らしたとも言えるが、その後2人の行動もまた共通している。

2人はこの狂った世界で大切なものを失い、そしてその復讐を果たし、個人の気持ちには一区切りはつけた。
しかし2人はその後も世界に「怒り」続けた。
狂った世界に「怒り」続けたのだ。

結果2人はその後、他人のために狂った世界と戦う道を選んだとも言える。
マックスは放浪の先で、なし崩し的にではあるが、人々を救うために奮闘をするし、それはフュリオサも同じだ。
「怒りのデスロード」では搾取される女性を逃すためにイモータン・ジョーに反旗を翻すのだ。

個人的復讐を遂げた先に2人は、ある意味で同じ立場として「世界に怒る」
だからこそ「怒りのデスロード」で2人は共に共闘する道を選んだとも言えるのだ。

そういう意味で今作があるおかげで、名作「怒りのデスロード」への感情移入はより深くできるようになったとも言える。

まとめ

ということで、「怒りのデスロード」の前日譚としてよくできた作品ではあるし、コレがあるからこそ、より「怒りのデスロード」が深く楽しめるようになったとも言える。

一本の作品とても相当面白いし、そしてこの後に「怒りのデスロード」をみるとどちらの作品もより深く楽しめるはずだ!

ということで、もちろん今作品は映画館で見ることをお勧めします!!

いいなと思ったら応援しよう!