人生ではじめて死にたくないと思ったお話
「ぼくの人生なんて、なんてことない」
こんな厨二病のような気持ちで過ごすようになったのは一体いつからなんだろうか。
意識もない。きっかけも覚えてない。
たぶん、ぼくにとっては当たり前すぎたんだろう。
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ぼくは自己肯定感がエグいほど低い。低すぎてドラゴンボールのスカウターでさえ捉えきれないほどだ。戦闘力53万のフリーザも真っ青に違いない。
「自分を奮い立たせるのは他の誰でもなく、自分を信じて歩んできた過去の自分」
だなんてカッコつけたことを言ってきたが、実際はそうではない。
自分以外に自分のことを認めてくれる存在がぼくには誰ひとり居なかっただけだ。心の底から自分をさらけ出し、真正面から向き合える友だちがいなかったんだ。それは他の誰のせいでもなく、ぼく自身のせいだ。
・・・
「親友と呼べる存在はいるのだろうか?」
ぼくは過去に2人いた。小学生時代だ。
その2人のことを「過去」と呼んでしまうのは何とも心苦しいが、事実は事実だ。
なぜ「過去」となってしまったかというと、2人とも転校してしまったのだ(当時連絡先を交換する思考がなかったため、いまも連絡は取れない)。
大切にしたいと思っていた親友が、立て続けに自分の元から離れていく経験は、幼き頃のぼくに受け止めるには到底困難だった。
「本気で向き合った相手はぼくの側には居てくれない」
自分の行いが自分自身を苦しめる呪縛かのように捉えていた。悲しいけれど、何故だがすっと事の事象を受け入れてたように思う。そこからぼくは人と本気で向き合うことを恐れ避けるような生活を、20年という歳月を積み重ねていったのだ。
・・・
そんな中、今年とっても不思議な出会いがあった。
突拍子もなく友人から「この子を紹介したい!」と連絡があり、2人で会うことになったのだ。
その方は初対面にも関わらず、
ぼくのことを完璧に透視しているかのように
物事の考え方や捉え方を理解してくれた。
そして他人との関わり方や各コミュニティでの振る舞い方までもぼくと全く同じだった(ぼくは各コミュニティでそれぞれ異なる顔を持っている)。
ひとつひとつの彼女の言葉が、ぼくの心を閉じ込めてた屈強な鉄折を、少しずつ・やさしく・丁寧に解きほぐしてくれた。
ぼくという存在を肯定してくれている。
ぼくという存在を心の底から受け入れてくれている。
ぼくという存在を両手を広げてよろこんでくれている。
ぼくは人生で初めて、心がぽかぽかしたのだ。
・・・
このときぼくは、一体どれほどの幸福感を噛み締めたのだろうか。味わい深かすぎて、にやにやが止まらなかったに違いない。
どうにかして表現したいが何とも言い難いし、言葉にすると陳腐化してしまいそうで気が乗らない。
…そうだ。ぼくの心の宝箱に、そっと閉まっておくことにしよう!ふとしたときにこっそり覗いて、またあのときと同じ気持ちに浸れるように。
いままでは「いつ死んでもいいや。そんときはそんときや。」なんて思っていたが、こんな宝物が見つかってしまっては、そんな気持ちに到底なれるはずもない。
「死にたくない」と、胸がきゅっとなった。
それと同時に、
意思ある言葉がぼくのからだにすっと降りてきた。
そしてぼくは、人生の年貢を納めることにしたのだった。
#ベイビーアイラブユーだぜ #ベイビーアイラブユーだ