陸前放浪記〜Reborn Art Festival篇①
8月末から緊急事態宣言が出され、その真っただなかに回ることとなった2年ぶりの「Reborn Art Festival」。ここでは牡鹿半島の各地域を巡って見た作品について書いていきたいと思います。
鮎川エリア
まずは牡鹿半島の先端、鮎川にやって来ました。
2年前には港一帯が工事をしていたのですが、今回は港周辺の工事はほぼ終わっていました。道路はまだ完全には通っていなくて、途中ルートを間違えてしまいました。
鮎川は捕鯨の町ということで、港ではクジラのオブジェがお迎えしてくれました。
クジラの下、波の部分には、東日本大震災に被災した様子の写真が載っていました。
クジラのすぐ真下まで水が浸かっている写真に愕然。こんな高さまで水が来たことだけでなく、一度津波が来たら簡単には引かないということも驚きでした。
この辺りは「ホエールタウンおしか」という施設が新たにできていました。広場には捕鯨船が設置されていて、そちらは現在工事中でした。
捕鯨船の先にはクジラのオブジェが。
その背後に広がる高台の住宅にも目が行ってしまいます。この辺りもやはり震災後に盛り土をして移転したのでしょうか。
続いては建物のほうへ。
緩やかにカーブを描いた建物は大きく3つの施設に分けられます。
まずは牡鹿半島ビジターセンター。
牡鹿半島の暮らしや文化、食など、単なる観光情報よりもより深いレベルで知ることができます。
私はトイレをお借りしようとして、その手前にあったコインロッカーに目が止まりました。
アワビの貝殻やオオセンチコガネ、花崗岩にミンククジラの髭など、牡鹿半島の自然がガラスブロックのなかに閉じ込められていたのでした。
ガラスブロックはテーブルにもありました。
こちらは牡蠣の殻と冬鳥の羽根。
他にもシカの角なんかもありました。海に山に、本当に豊かな場所なんですね。
こちらの棚にはいろんな「コレクション」が種類別に並べられていました。
へぇ〜、なんて言いつつしばしじっくりと拝見しました。
ビジターセンターのお隣にはおしかホエールランドという博物館がありました。
津波による被害を免れた16.9mの国内最大級のマッコウクジラの骨格標本など鯨に関するものが展示されているそう。今年の7月にオープンして1ヶ月で1万人の来館者を達成したのだとか。
そして観光物産交流施設Cottuです。Cottu(こっつ)というのは「こっち」の石巻弁の訛りなんだそう。
いろんな飲食店が入っているみたいで、タイミングが合えばお昼ご飯でも食べたかったなあ。次回は開いている時間に寄ってみよう。
さて、展示会場へ移動します。
今回は鮎川では新作の展示はありません。集落から離れたところに設置された前回の作品が2点残されていて、それを見に行きました。
駐車スペースの横に広がっている空き地。
ここは前回石川竜一さんが穴を掘りまくっていた場所ですが、跡形もなく埋められていました。
が、ここから海へと下りる砂利道はきれいに残っていました。
島袋道浩「白い道」です。
砂利道を下り切った先には絶景が。
目の前には金華山が迫っています。
この日は自分しかいなかったので、しばらくこの絶景を独り占め。海からの風が気持ちよかったです。
前回は気づかなかった案内標識。
国民宿舎コバルト荘は今はもうなく、その跡地が駐車場として使われているあの空間です。
もうひとつの会場、ホテルニューさか井は車で数分の距離にありました。
前回はこちらに来ていなくて、どうしてだったっけと考えていたら、ここだけ開場時間が遅いことに気づいたのが当日で、スケジュールの調整ができなかったのを思い出しました。
こちらのホテルの一室を使った作品が吉増剛造「room キンカザン」。
前回はここに滞在しながら詩作を行なっておられて、それがそのまま残されています。
部屋のあちこち、窓や鏡に書き込まれています。ホテルの方もよく残してくださったなあ、と思わずにいられません。
吉増さんは前回の会期後もここに通っては詩作を行なったそうで、それをまとめたものを詩集『Voix』として刊行されることになり、その校正がテーブルの上に乗っていました。
小積エリア
牡鹿半島は震災で人口が減ったことにより鹿の生息数が増えた、という話は前回のときにチラッと耳にしたのですが、鹿を単に駆除するのではなく食肉として流通させるための鹿肉解体処理施設「フェルメント」があるのがこのエリアです。
受付の近くには「フェルメント」を運営する猟師の小野寺さんの愛犬がのんびり休憩していました。
今回の作品は志賀理江子+栗原裕介+佐藤貴宏+菊池聡太朗「億年分の今日」。前回ここで印象的な作品を展示した志賀さんはその後もこの地を訪れているようです。
今回は溝が掘られ、その土がいくつも積み上げられています。また溝のなかには牡蠣の殻や鹿の骨が潜んでいました。
会場内にはスピーカーが何台か設置されていて都会のノイズが大音量で流れていて何か変な感じがしました。
施設の近くにはビオトープも作られていました。
よく見ると小さい魚が泳いでいたりして、新しい命の繋がりが生まれようとしているみたいでした。
他と比べてかなり独特で不思議な印象を与える場所でした。
荻浜エリア
駐車場に車を停めてから港を通り、山に沿った遊歩道をしばらく進みます。
海では牡蠣のイカダかな。作業する漁師さんの姿も。そしてしばらくして、
木々の合間から見えてきました。
名和晃平「White Deer(Oshika)」です。
Rebornを象徴する作品なので、この作品の前に立つと「帰って来たなぁ」という思いが込み上げてきます。
その途中には小林万里子「終わりのないよろこび」がありました。
荻浜には第二次世界大戦中に旧日本海軍が魚雷を格納するために作られた洞窟がいくつかあるのですが、そのうちのひとつを使った作品が布施琳太郎「あなたと同じ形をしていたかった海を抱きしめて」。
洞窟の奥には森へと続く道があって、その入口には片山真理さんの作品が。
アップダウンを繰り返す山道をしばらく歩きます。
しばらくして視界が開けてきました。
荻浜灯台です。初点灯が明治25年ということで、古くからここに立っているんですね。
この周辺一帯で展開されていた作品が狩野哲郎「21の特別な要求」です。
いろんな場所に作品が散りばめられています。宝探しみたいに見て回ります。
荻浜エリアにはもうひとつ作品展示がありました。いったん駐車場まで戻り、道路を渡って反対側に進みます。
羽山姫神社へ向かう長い長い階段がその会場です。
その途中にも小林万里子さんの作品がありました。
息を切らしながら途中まで上ったところで振り返ると、荻浜の景色がよく見えました。
階段のふもとにあるのが「はまさいさい」というRebornが運営しているお店です。
ちょうど昼時だったので冷やしうどんをいただきました。
三陸産のワカメとカキもトッピング。
美味しかったです。
桃浦エリア
駐車場のそばには高い防潮壁があります。
そばにある民家跡には前回から継続して設置されている作品があります。
久住有生「淡」。
ここは基礎だけが残っていて、ああ、ここにもかつて人の営みがあったんだなあ、と思わされます。
さて、道路を渡って会場へ。
このエリアは会場が一箇所に固まっています。それが旧荻浜小学校です。
校庭には篠田太郎「幼年期の終わりに」がありました。
バルーンの作品ということで天候に左右されるのですが、この日は無事に上がっていて見られました。良かった。
風に吹かれて作品も気持ち良さそう。
校庭にはもうひとつ、継続設置の作品がありました。金氏徹平「ボイルド空想(マテリアルのユーレイ/⽯巻)#1、#2、#3、#4」です。
こちらは2017年のときに制作されたもの。
体育館では森本千絵 × WOW × 小林武史「forgive」。
小林武史さんがプロデュースを手がけてMISIAがゲスト参加したbank bandの同名曲をモチーフにしたインスタレーションです。
倉庫ではサエボーグ「HISSS」。
ここから校舎へと入ります。
まずは夏井瞬「呼吸する波」。
海や波を撮っている写真家の方で、美しい波の姿がいくつも並んでいました。
そして岩根愛「Coho Come Home」。この作品が大変素晴らしかったのでした。
cohoとは銀鮭のこと。
女川では鮭の養殖が盛んなのだそうですが、その養殖を(女川のみならず国内でも)最初に成功させた男性を祖父に持つ男性を中心に語りは進みます。与えるエサが海洋汚染を引き起こさないよう試行錯誤したこと、数々の難問をクリアすることで周囲から理解を得たと同時に養殖を始める人が増えたこと、北海道から卵を購入して宮城県内の別の場所で孵化させていること、そして震災のこと。その年初の水揚げを翌日に控えたタイミングだったこと、祖父はすぐに「養殖を再開する」と宣言したこと、女川から離れた気仙沼の市場で普段は獲れない鮭が水揚げされたこと。
そしてもう一面のスクリーンでは、女川から遠く離れたアメリカ・カルフォルニアを流れるマトール川が映し出されます。マトール川は古くから鮭が遡上していて先祖は鮭の恵みを享受していたこと、ただ次第に鮭の遡上は見られなくなってきたこと、40年ほど前にヒッピー達が移住してきたこと、新住民が自然保護を訴えてその象徴が鮭だったこと、旧住民との対立が深まったものの歩み寄りが見られて鮭の保護に向けて動き出したこと、そして取り組みの結果鮭の遡上が復活したこと。
地域のイベントで旧住民と新住民が鮭について会話している様子も映っていました。
そしてその合間には日本のピアノ、アメリカのバイオリンによる合奏も流れました。
とても美しく、素晴らしい作品でした。
最後は屋上へ。バルーンの作品、そしてその向こうに広がる海が見えました。
バルーンはもう少ししたら地上に下ろされるというタイミングで、その作業のために校庭には人が集まっていました。
風が少し吹いていて気持ちがよく、しばらくここにいてぼんやりしていたくなりました。
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