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シン自活言語学者の愉快な日々-01

図書出版ヘウレーカさん(https://www.heureka-books.com)で連載させていただいている「ある自活言語学者の愉快な日々」ですが、伊藤の個人的な理由で続けることができなくなっています。その経緯や、これまで連載した部分の「お焚き上げ」を、ヘウレーカさんのご厚意で、こちらnoteに書かせていただきます。

これまでの連載はこちらからどうぞ💁‍♀️

第1回「来たれ!自活志願者」


第2回「わが身ひとつで生きるんだ」


第3回「素晴らしきかな、野草!」


第4回「食べること、飲むこと」

「変わってしまった」という言い訳

ご無沙汰してます。

執筆を再開するにあたって、これまでの連載を読み返すべきなんでしょうが、読み返すことができないまま、これを書いています。それは最後の記事(2023年の7月のようです)を書いていたぼくと、いま(2024年の7月です)のぼくが、確認するまでもなく、大きく変化してしまったということがひとつ、理由になるのかなと思います。それぐらい時間が経ってしまったということでもありますが、どれだけ時間が経過したかなんて、関係ないんじゃないか、と思えるほど変わったと感じてもいます。

その違いの大きさを確認してしまうと、また書けなくなるかもしれない、という怖さがあるのかもしれません。でも、そんなに変わってしまったのだから、戻るはずもないだろう、という取り方もできますね。なんだか、単に読み返すのが面倒なのかもしれません。むかし書いたことにほとんど興味がないのもあります。

あれやこれやと言っていますが、結局はこれ、書けなかったことを謝っているだけですね。長いこと書けず、ごめんなさい。でも、ずっと、この変化について、この連載で何かを書くんだろうな、とは思っていました。

変化がありました、と過去形で言いはしましたが、変化はいつだって現在進行形です。まさにいまもぼくは変化しています。いえ、もとからずっと、そうでした。ぼくは変化しつづけてきたし、これからも変化するでしょう。そして、それはぼくだけではないはずです。これを読んでいるみなさんもそう。人だけでなく、道端のハナミズキだって、散歩している柴犬だって、今日も登っては沈む太陽だってそうです。何もかもが、変化し続けています。

そんなこと、ぼくに言われなくても、当たり前だと思うのですが、ぼくはその当たり前のことを、わかったつもりでいて、わかっていませんでした。何もかもが変化していくこと。そのことに、いまのぼくはより深く気付いた、もっと正確にいうと、やっと降参できた。そんなところだと思います。

全ては変化しているのに、ぼくのある時点での考えやこだわりだけが、その時の形のまま、ちゅうぶらりんで止まっていました。いえ、ぼくが止めていました。ぼくの変化をなかったことにして、ある時点でのぼくにしがみつくことができるのは、ぼくだけです。そして、その変化を受け入れられるのもまた、ぼくだけです。変化を受け入れながらも、変化を拒んでいて、そのギャップが書くことへの違和感をもたらしたのかもしれません。あ、また言い訳になりそうですね、やめます。

「自活」の定義を振り返る

変化を止めていた考えやこだわりはたくさんありました。これを書いているいまも、きっとあるでしょう。この連載に関わるところであれば、「自活」についてです。この連載の根幹になるコンセプトです。

しかし、ぼくは変化していくので、「自活」についての考えも、日々変化していきます。実践も変わっていきます。その変化を正直に表現できればよかったのですが、それはどこか憚られました。どうして憚られたのか。それは「いまのぼくの考えと実践は、受け入れられないだろうし、聞かされる人にとっては、余計なお世話だろうな」と感じていたからのような気がします。その感じはとても微妙で、言葉にするのがとても難しいのですが、だからこそ、こうやって正座して(正座して書きたいので、正座しています)書いてみようと思っています。

まず、以前のぼくの「自活」の定義を振り返ってみようと思います。おそらく連載の初期に、「自活」の定義めいたことを書いたはずです。もしくは、「自活器」についての定義だったかもしれません。あ、やっと読み返すことができそうです。

読み返してみました。連載の1回目で、書いていましたね。

今、「自活」という言葉を使いましたが、自分が生きていくのに必要なものを、自分でまかなう術を持つこと──それがぼくの「自活」の定義です。それもいろいろな程度や範囲があってもいいと思います。食べ物は自分で作りますとかね。絵を描く紙を自作するとかもありです。自活は0か100かではなくて、その人が「自活」の方向を向いていて、何かしらの行動をしていれば、立派な自活者だと思います。

第1回「来たれ!自活志願者」

「自分が生きていくのに必要なものを、自分でまかなう術を持つこと」

1年前のぼくの書いたこの表現に、いまのぼくはいくつかの違和感を感じます。最も大きな違和感は「自分」という言葉です。「自分って、何を指しているの?」と疑問に思います。「自分」はどこにいるのでしょうか。

「自活」のなかにも「自」という漢字があります。「自分」の「じ」、もしくは「みずから」と読ませる漢字です。「自活」を下し読めば、「自ら活きる」、「自らを活かす」などと読めそうです。しかし、「自ら」とは何を指すのでしょうか。

「自分」や「自ら」は、そこにあるのが当然のことに思えます。「自分」のない世界など想像しにくい。けれど、ひとたび「自分を指差してください」と言われたら、少なからず戸惑いと混乱がうちに起こります。ぼくは何を指差せばいいのでしょうか。肉体でしょうか? 感覚でしょうか? 意識でしょうか? どれを指差しても、不十分な感覚を覚えます。

「自分」とは何か

「私とは何か」について、哲学的な議論が、きっとたくさんあると思います。それらの議論の中には、ぼくの気に入る、ある種の解答が用意されているかもしれません。少なくとも、考えるきっかけを与えてくれるものでしょう。それらを大いに活用するのも楽しいですが、ここでは、それらを読むことなしにすすめさせてください。

僕ではない誰かに頼ることなく、言語学や自活研究者としての活動のなかで、ぼくが経過したこの1年を経て、いまの感覚を言葉で表すとすれば、こうなります。

「自分は言葉であって、それ以上でもそれ以下でもない」

ムラブリ語を研究する言語学者から、ムラブリとして研究する道を選び、その実践として自活研究者という問いをたてましたが、行き着いたのは「言葉は言葉でしかない」という、当たり前のことでした。その当たり前のことを真に受けて、心から降参した途端に、全ての人はもう「自活」を達成していて、ぼくがやることは何もないんだ、と気づいたのでした。

「自分」は言葉に過ぎず、それゆえ、全ての人は「自活」を達成している。これを簡単に言い換えるならば、「自分」がなくても、生きていける、ということです。

先程の「自活」の定義に「自分が生きていくのに必要なものを、自分でまかなう術を持つこと」という表現がありました。この表現はナンセンスです。なぜなら、「自分が」とか「自分で」とわざわざつけなくても、この表現は成立するからです。つまり、自分が何かをすることなく、生きていくことはできるからです。

「自分が生きていくのに必要なものを、自分でまかなう術を持つこと」

上の定義から、試しに「自分が/で」を取ってみます。

「生きていくのに必要なものを、まかなう術を持つこと」

何も問題のない日本語です。むしろ、より自然に響く文でさえあるかもしれません。

例えば、自分が心臓を動かしている、と感じたことはありますか? ぼくはありません。心臓の鼓動は、走り出せば勝手に強く速く打ち、寝る前にはゆっくりと落ち着きます。心臓はいつも、自分に関係なく、勝手に、正確に脈を打ちます。それは、ぼくが生まれるときから、死ぬまで続きます。

呼吸もそうです。自分が呼吸に働きかけることができるとすれば、すでにある呼吸を遮って止めたり、速くしたり遅くしたりして、人工的なリズムを作り出すことだけです。その元々ある吸って吐く流れを、自分で生み出すことはできません。自分で制御した呼吸は、どこか息苦しく、長続きしませんが、自動的に行われる呼吸がもっともスムーズで、寝ている間も安定して続きます。そんな呼吸も、生まれてから死ぬまで、勝手に続きます。そこに「自分」の働きは感じられません。

その他にも、自分で腹を空かせたとか、自分で眠くなったというのも、どこか引っ掛かりのある表現です。気づけばお腹は空いているものです。お腹が空いて、食べたら眠くなる。そして起きたら眠気はなくなっていて、またお腹が空いている。その繰り返しです。

鼓動も呼吸も空腹も睡眠も、「自分」が余分に思えます。余分どころか、むしろ、「自分」を持ち出さない方が上手くいく。生きることの本質に関わることほど、「自分」は邪魔になる。

心臓を動かすこと。呼吸をすること。お腹を空かせ食べること。眠ること。これらは全て、生まれたときから働いていて、死ぬその瞬間まで続きます。その意味で「生きていくのに必要なものを、まかなう術を持つこと」は、すでに達成されていると言えます。自分が何かをしなくても、もうそこにあって、充分に生かしてくれている。

Take it for grantedという敗北

生きていくのに本当に必要なものは、自分なしに起きている。本当に当たり前のことです。ですが、ぼくはその当たり前のことを、当たり前過ぎたのか、充分に目を向けていませんでした。自分でやる必要のないことだから、大したことではない、と考えていたのです。

英語の熟語にtake it for grantedという表現があります。「それを当たり前だと思う」という意味です。この表現はそのままの意味よりも、狭い文脈で用いられる表現で、「特に深い考えもなく、それを当たり前だと思う」という浅はかさを暗に示す表現です。

まさにぼくは、心臓の鼓動や呼吸などを、自分の努力なしに勝手に行われることとして、take it for grantedしていました。特に深い考えもなく、「生きることは勝手にやってもらえるのだから、ぼくはそれ以外の何かを達成しよう」と考えていたのです。そして、ぼくが鼓動や呼吸といった「生きること」の根幹を軽視して、何を達成しようとしていたかと言えば、なんと「生きること」! これは、ぼくの人生で起きた最大の皮肉になるでしょう。

自分が生かされていることを見て見ぬふりをして、生きていることを自分の手柄に錯覚したい。「自活研究者」という表現からは、そんなぼくの自尊心がはっきりと透けて見えるものでした。これは恥ずかしい! カッコ悪い! けれど、だからこそぼくだけの恥で終わらせる訳にはいかない。恥は他人に笑われるまでがセットです。どうかどうか、このぼくに起きた人生で最大の皮肉を、一緒になって笑ってやってほしいのです。

そう、ぼくは笑っていました。このとてもとても恥ずかしい、「な〜にをやってきたんだ、いままで!」という人生で最大の不甲斐なさ、脱力感は、ぼくにとって人生の最大の贈り物となりました。本当に幸せなのです。幸せというのも生ぬるい。気分がいいと言ってもまだまだ足りない。気持ちがよくて堪らないのです。ただただ自分の鼓動や呼吸を感じることで、打ち震えるような感動が押し寄せてきます。

けれど、人生で最大級の敗北経験、その無力感が、どうしてそんな多幸感をもたらすのか。これは少し説明がいるような気がします。そして、そこが「いまのぼくの考えと実践は、受け入れられないだろうし、聞かされる人にとっては、余計なお世話だろうな」と思わせる部分でもあります。ですから、少し丁寧に書かせてください。

恐怖から完全に解放された人類

まず、ぼくが自活、もしくは自活器の概念を思いついたきっかけについて、少し話します。一番のきっかけは、2021年の夏に、ドームを発明したバックミンスター・フラーの共同研究者である、シナジェネティクス研究所の梶川所長との出会いでした。梶川所長と初めて会った次の日の朝、彼はフラーの研究や幾何学研究を続ける動機についてこう語ってくれました。

「ぼくはまだ恐怖から完全に解放された人類を見たことがない。誰もがいつも、何かに怯えている。考古学が教えるところによれば、昔の人は怖くて夜に満足に寝れず、歯軋りをしていたために、骸骨を見ると奥歯が擦り減っているそうだ。現代はそこまではないだろうが、根本的には変わっていない。人はいつも、何かに怯えている。人類を恐怖から完全に解放するのは、ぼくはテクノロジーだと思う」

梶川所長のその言葉を聞いて、ぼくはこの人は正しいと思いました。人類を救うのは、言語学ではなく、政治でもなく、テクノロジーなのだと考えました。そして梶川所長と半年間だけ仕事を一緒にさせてもらい、そのあとなんやかんやあって、DIYドームを発明したりするのですが、このようなDIYドームなどに連なる、衣食住などの自給自足が、自活の概念に繋がっていきます。

つまり、ぼくの考えていた「恐怖」とは、家賃が払えないこと、または自分で家を建てられないことであり、食費や衣料費や携帯代がないこと、または衣食や通信を自給自足できないことであり、医療費がないこと、もしくは健康でいられないことでした。お金に頼らず、快適に健康に生きられるテクノロジーがあれば、人類は恐怖から解放されると素朴に考えていたようでした。

あまりにも素朴で、笑ってしまいますが、少し前までのぼくは、本気でそう思っていました。

しかし、いまなら分かりますが、自活器を求めることと、それ以外の何か、例えば、優れたお金の再分配、つまり優れた政治を求めることなどは、根本では同じです。恐怖を生み出しているのは、テクノロジーでも、政治でもなく、すべて「自分」だからです。

自活器だろうが、お金だろうが、政治家だろうが、見えない世界だろうが、自分以外に救いを求めることが、ボタンのかけ違いなんだということです。

恐怖からの解放は、政治やテクノロジーに依存しないところで、その人に起こったはずです。現代でも、恐怖から完全に解放された人は、多くはないにせよ、いると思います。なぜなら、ぼくがそうだからです。この文を書きながら、こう言い切るのが怖くて、この連載を書き始めることができなかったのかもしれないと、ふと思いました。

先のことは誰にも分かりません。もちろんぼくにも分かりません。ぼくが「恐怖から完全に解放されました」といいながら、未来には何かに怯えて暮らす日が来るかもしれません。けれど、やはり、もうそれは起きる気がしません。それは、恐怖がもう起こらないというよりかは、恐怖が起こったとしても、それを受け入れることに何の躊躇もないだろう、それどころか、喜んで恐怖を向かい入れるだろう、と感じるからです。

恐怖だろうが何だろうが、この身にどんなことが起きても、受け入れていける気がします。なぜかといえば、自分が何をやってもやらなくても、死ぬまではどうやったって生かされることが、よく分かったからです。だって、「自分」が何もしなくても、心臓は動き、呼吸は続くからです。それ以上のことをしてもいいですし、しなくてもいいんです。生きるために必要なことなど、はじめから全て用意されていました。生きるための重荷など、何もありません。その重荷は自分で選んで背負っていただけでした。それを下ろせば、本当に身軽なもんです。誰もがほんとは、ただニコニコして寝っ転がってるだけで、生きていけるんですよ。それを選んでいないだけで。

ただ生かされていること。それ以上のことをやろうとするところには、いつも「自分」がいます。そして、「自分」が何かをしたり、「自分」で何かをやったりすることが、全ての恐怖の始まりです。「自分」のあるところに、成功があり、失敗があり、上手があり、下手があり、達成があり、未達成があり、期待があり、裏切りがあります。全て、「自分」で何かをしようとした成果です。自分が何をしなくても生かされているという絶対の安寧を無視することで、「自分」を生じさせるとするならば、「自分」があるところにはその安寧からの離別、すなわち恐怖があるのは当然のことです。


そして、社会で奨励されるほぼ全てのことが、「自分」を必要とします。その「自分」は言葉で、言葉以上のものではないのに、です。そして、そんな単なる言葉に過ぎない「自分」があるからこそ、ドラマチックな人生になります。山あり谷ありの人生になります。みんな、そのアップダウンを好きでしている。いつでも、ニコニコして寝転がって、お空を眺めて、風に吹かれて、誰でもない生をその辺でゴロゴロと全うすることは今すぐにでもできます。本当にできるんです。でも、しない。だからこそ、「いまのぼくの考えと実践は、受け入れられないだろうし、聞かされる人にとっては、余計なお世話だろうな」と思うのです。ぼくは、今日もあくせくすることなく、友人に会い、食事をし、雨に打たれて歩き、特になんでもない日を過ごしましたが、あまりにも幸せです。それをお裾分けするつもりで、この連載を書いています。

わたしもあなたもないところ

「ある自活言語学者の愉快な日々」は、これまで4回書かれました。それらを書いたぼくと、いまのぼくは、全く異なります。もちろん、全ては変化するので、それは当たり前です。ですが、その異なりは、単なる異なりではなく、質的な異なりがあるはずです。結果としてどのような言葉使いをしたかという部分ではなく、どこから言葉が生じているのかという部分において、異なりがある。それは言語化がほとんど不可能な領域です。しかし、「そう」でなかったぼくが書いたものを、「そう」であるぼくが振り返ることで、見えてくるものがあるかもしれません。

繰り返しになりますが、これは個人的な振り返りであり、「お焚き上げ」です。それでも、これを読んでくださるあなたがいるから、こうして書いています。その意味で、ぼくはまだ見ぬあなたに書かされている。この時間的な倒錯としてしか表現できないところが、「わたし」も「あなた」もないところです。そこから言葉を紡いでみようと思います。

むりすんなよ