電車と肉と私。
自戒のようなSS
目の前に立つ私とそっと見つめ合う、丑三つ時。
鏡の中の私はお風呂上がりで髪が濡れ、タオルを体に巻いてすらいない下着を身につけただけの姿。
そんな彼女に向けて、私はそっと口を開いた。
「なんですかその腹は。」
そう、鏡の前に立つ私には少し前にはなかったはずのお腹の肉が備えられていたのである。くびれがあったはずの腰には下着に食い込む自らの肉。腕を持ち上げれば重力に負けた肉が腕の付け根に少し寄っていくのがわかる。
長らく見ないふりをしていたはずの汚点に、なぜ目を向けることになったのか。さて話を一週間ほど前に遡らせよう。
一週間前の朝のこと。
私は慌てて最寄り駅までの道を走っていた。髪の毛を整えることも満足にせず、ただひたすらに。あと5分で発車する電車に飛び乗らないと遅刻する、という社会人なら一度は経験したであろう危機に瀕していたのである。
ここまで無遅刻無欠席を守っていた私は、とにかく必死であった。何故ここまで…と今なら思うほどに。
季節は夏。
走って走って。額から汗を流しながらマスクの内側でぜえはぁと呼吸をしつつホームにたどり着いた時には、まさに件の電車が扉を閉めるところであった。
息をつく間も無く飛び乗り扉の前で膝に手をついて肩を上下させれば、私の背後でプシュゥと閉まる音がした。
ギリギリセーフである。
勝利に胸を撫で下ろした私は、扉の脇にあるスペースに体をもたれ掛けさせた。周囲からの視線が痛いがそんなのは知った事ではないのである。
さて、電車に間に合ったと余裕の態度の私であるが、事件が起きるのは次の駅に電車が停車した時であった。
「◯◯駅〜◯◯駅〜」
アナウンスとともにまた開かれる扉。…しかし扉は中途半端に開かれた状態で止まり、私は右腕に強い痛みを覚えた。
何が起きたのかはわからないが、慌てて自分の体を起こそうとする。が。起こせない。謎に右腕が痛い。パニックになりながら自分の体を見下ろせば、そこには戸袋に引き込まれた私の腕肉の姿。
いやそりゃ痛いはずだよね、だってお肉すごい引っ張られてるんだもん。私の二の腕、こんなにお肉ついてたんだ。そりゃ体重も増えるわ。
すっと意識を遠くに飛ばしながらも、私の身体は必死に扉を閉めようとしていた。扉が開こうとすればするほど私の肉が更に引き込まれて、肉が引きちぎられそうになる。
数瞬後に、私に起きている事態に気付いた車外の人や車内の人が慌てたように私に倣って扉を閉めようとしてくれた。
わぁ。ありがたいけどやめてくれ。
嬉し恥ずかしってことのことかぁ。
色んな意味で泣きそうになりながら数十秒後。
私の腕にクッキリとした赤い痕を残して、扉は閉まった。
あまりにも恥ずかしくて周囲360度にペコペコと頭を下げながら、私は決意した。
腕の肉をもぐ。
そして私は遅刻した。