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ジョン・スチュアート・ミルの教訓

it is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied. And if the fool, or the pig, are of a different opinion, it is because they only know their own side of the question.


「満足した豚であるより不満足な人間である方がよい。満足した愚者であるより不満足なソクラテスである方がよい。そして愚者や豚の意見がこれと違っていても、それは彼らがこの問題を自分の立場からしか見ていないからである」

この引用文は、ジョン・スチュアート・ミルの功利主義の著書からのもので、人間の質的な快楽と量的な快楽の違いを説明するためのものです。ミルはこの中で、全ての快楽が同等ではなく、一部の快楽は他の快楽よりも優れていると主張しています。


この文の「満足した豚であるより不満足な人間である方がよい」という部分は、単純で動物的な快楽(食事や睡眠など)を得て満足する豚と、より高度な知的や道徳的な快楽を追求する人間とを比較しています。ミルの視点からすると、知的や道徳的な快楽は動物的な快楽よりも価値があるため、それらを追求する人間の方が豚よりも優れているというわけです。


「満足した愚者であるより不満足なソクラテスである方がよい」という部分では、知識や知恵を追求することの価値が強調されています。この文脈での「愚者」は、深い考察や知識を求めず、表面的な快楽や幸福に満足している人を指しています。一方、「ソクラテス」は、知識と理解を追求する哲学者を象徴しています。彼は真実を追求する過程で不満足感を経験するかもしれませんが、その追求そのものが高次の快楽をもたらすとミルは考えています。


「愚者や豚の意見がこれと違っていても、それは彼らがこの問題を自分の立場からしか見ていないからである」という部分は、我々がどのような快楽を価値あるものと見なすかは、我々の経験や知識に大きく依存するということを示しています。豚や愚者は、それぞれが経験した快楽しか知らないため、それらを最高のものと見なします。しかし、ミルは、知識や理解を深めることにより、我々はより高次の快楽を体験し、その価値を理解することができると主張しています。


この引用文から得られる教訓は、知識と理解を追求することが、より高次の快楽と満足をもたらすということです。単純な物質的な快楽だけを追求するのではなく、知識や理解、道徳的な価値を追求することで、人間は自己の精神的な成長と真の満足を達成することができます。


また、この引用文は我々に、自己の視点を広げ、さまざまな経験と知識を追求することの重要性を教えています。自己の立場からしか物事を見ないと、我々はより高次の快楽や満足を得る機会を逃すことになるでしょう。


それぞれの人が何を価値あるものと見なすかはその人の経験や知識に大きく依存しますが、ミルは我々に対して、豚や愚者のように自己の視野を狭めるのではなく、ソクラテスのように知識や理解を追求することを勧めています。つまり、満足感だけを求めるのではなく、学びと成長を追求することの価値を認識するべきであるというのが、この引用文の教訓と言えるでしょう。

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