「ちびっこ」コールリーダーになるまで。
JFL FCマルヤス岡崎のちびっこコールリーダーCOCO。小学二年生の時からチームを大きな声で応援しはじめました。元気に応援するその理由を、その生まれからどうしてコールリーダーになったかという点を含めてまとめてみました。
CoCoは2006年4月に中国北京で生まれました。
人一倍大きな泣き声の娘だったように記憶しています。
生まれて2年半後の2008年に北京オリンピックが開催され、毎日のように競技会場に出かけていました。
それで、会場の観衆が ”加油(ジャーヨウ)”(頑張れの意味)を叫び応援をする様子をまねていつも大声で”加油”と叫んでいたのが大声で応援の始まりだと思います。
その後もスポーツ観戦の好きな父親と様々なスポーツの会場に足を運んでいました。
特にスポーツを見るのが好きなわけではなくお菓子を食べながら大声を上げ雰囲気を楽しむのが好きだったのだと思います。
その後、北京の小学校に入学してから大学のサッカー場が見えるマンションの10階に引っ越したのをきっかけに夕方や週末にグランドに足を運びサッカーの練習や試合を見ながら大声で”加油”とか日本語で”ガンバレー”と応援するようになりました。
その後、父親の仕事の都合で日本に帰国してからも高校野球やサッカーなどのアマチュアの試合を中心に月に1〜2度、連れて出かけるようになりました。
そのたびに生まれながらの(?)それとも、騒がしい街、北京で培った大声での応援をしていました。
しかし、ルールを知って競技を楽しむと言うよりお弁当とお菓子を持って雰囲気を味わうピクニック気分での観戦でした。
そして2014年の夏に名古屋市のスポーツ施設のホームページで名古屋市の港サッカー場でサッカーの試合があることを知り、FCマルヤス岡崎の試合に始めて足を運びました。
それまでも特に応援するチームがあるわけではなく、スタジアムに着いてから自分の住んでいる名古屋に近かったり、ユニフォームの色などたわいもないことで応援するチームを決めていました。
FCマルヤス岡崎を観戦したのはたぶん天皇杯の愛知県予選だと思います。
確かマルヤスの対戦相手はトヨタ蹴球団でした。
ちなみにそのときは応援していたのはトヨタ蹴球団でした。
その後、数週間後に名古屋港サッカー場で何かの大会とJFLの2~3試合行われる日があり。そのとき初めてFCマルヤス岡崎を応援しました。
座っていた左前にマルヤスのコールリーダーが一人で大声でチャントを歌い応援をしているのを見て自分も負けずとばかり”ガンバレー”と応援していました。
そのときのコールリーダーの応援をみて応援の仕方を覚えたのだと思います。
その後も、そのシーズンは2〜3試合メインスタンドの真ん中から上の方の席で一人で大声で応援していました。
たぶん転機が訪れたのは翌年2015年の5月2日のファジアーノ岡山ネクスト戦だと思います。
いつものように最初から、一生懸命応援していたのですがだんだん調子に乗ってきたというか熱が入ってきた娘は最前列で大声で応援し始めました。
そのときマルヤスのコールリーダーは声出しをされていなくて娘がひとりで声を出して応援をして目立ってしまったのだと思います。
何人かの子供連れのサポーターの方が娘の姿を見て微笑みながら手拍子をあわせてくださったりしていました。
そして、試合が0ー0で後半アディショナルタイム前後だと思います。
試合が終わる間近と言うこともあってか、一人で最後の力を振り絞ってひときわ大声を出してFCマルヤスコールを叫んでいました。
そして、その声がマックスになったときに
・・・・ボールがゴールに吸い込まれていきました。
そして。。
その後、娘が再びFCマルヤスコールをコールすると会場全体がコールにあわせた手拍子につつまれました。
ひさしぶりに味わった鳥肌が立つほどの感動でした。。。
その後。。
試合が終わってからスタンドで観戦していた多くの方から”応援ありがとう”や”お姉ちゃんが応援したから今日勝てたね、ありがとう”と声をたくさんかけられ、とてもうれしかったみたいです。
帰りの車では”わたしが応援したから勝てたんだ”と満足げに自慢していました。
自宅に帰ってから、twitteの検索でマルヤス岡崎を検索するとたくさんの娘に関するコメントが載せられていて、”今日のMVP”とか”勝利の女神”とコメントされていました。
そのコメントを娘に見せると喜んでまた自慢げに「わたしはマルヤスの勝利のキャンペーンガールになるのよ」と自慢してました。
「わたしが応援すると勝つんだから、わたしが応援いかないといけない」などと家族に自慢しながら言っていました。
このように、FCマルヤス岡崎のサポーターの皆さんが娘の応援をあたたかく励ましてくださったおかげで、もっともっとマルヤスを応援したいという気持ちになったようです。
その後も、サッカーの観戦と言うよりも大声を出して応援することと、1試合500円分のお菓子とピックニックが目当てで会場に足を運んでいます。
選手のみなさんが、”応援聞こえてたよ、ありがとう”と声を掛けてくださり、また少しづつ知り合いが増え、スタジアムに行くといろいろな方から声をかけてくださったり、マルヤスの選手や運営スタッフをはじめとしてマルヤスの関係者や家族の方からも可愛がっていただいて、最近はスタジアムで知り合いと会えるのが楽しみのようです。
コールリーダーをはじめとするサポーターの皆さんがもいつも優しく接してくださり、娘が作ったチャントを一緒に歌ってくださったりもして、マルヤスが、とってもアットホームな居心地のよい場所に感じているのだと思います。
特に2015年7月25日の都田ではコールリーダーひとりしか声出しする人がいなく自分が出さないとという使命感に燃えて大声を出していました。
マルヤスサポーターが少なければ少ないほどやる気を出しているようにも感じます。
試合終了後もたくさんのHondaFCサポーターの方から「声よく聞こえてたよ」「今度 うちのチームにスカウトしたいよ」など声をかけていただき、ますますやりがいを感じてきたようです。
このように相手サポーターの皆さんからも励ましをいただいて、コールリーダーとして成長できたのではないかなと感じます。
たとえ試合に負けたとしても試合終了後にいつも何人かの選手が娘に「応援ありがとうね、応援の声よく聞こえてたよ。今度は勝つからね」と娘と目の高さを合わせて声をかけてくれたりし、選手のそんな優しさに「こんどはもっと応援しなくちゃね。」と帰りの車で話すこともありました。
また、選手がミスしても批判的なヤジをせず、いつも対戦相手に対して敬意を示すマルヤスサポーターの雰囲気は子供を安心してスタジアムにつれていける雰囲気だと思います。
このような経緯で娘はFCマルヤス岡崎サポーター、選手,スタッフなど関係者のみなさんと、JFLの対戦相手のサポーターの皆さんの励ましでFCマルヤス岡崎のちびっ子コールリーダーに育てていただくことができました。
そして、ほかの同じ年の子供たちの経験できない貴重な経験をさせていただき、サッカーだけではなく、今後の娘の糧になればと、願っています。
そんな娘も今年、中学三年生になります。
最近は学校生活も忙しく観戦頻度が減ってしまいましたが
今シーズンも一緒にスタジアムに足を運ぶことが楽しみです。
もし、ご都合とお時間があれば、FCマルヤス岡崎のホームゲームに足を運んでみてください。
最後までご覧くださりありがとうございました。
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