因果応報は宇宙の法則?
2023年5月5日 質問への回答
Q.宇宙の法則と言われる、出すから入ると因果応報という2つのこれは、
宇宙のルールですか?それとも信念ですか?
因果応報とは(ウィキペディア)・・・過去及び、前世の行為の善悪に応じて現在の幸、不幸の果報があり、現在の行為に応じて未来の果報が生じる
因果応報っていうのが、宇宙にはあるけど、3次元的な角度とはちょっと違いますというのを以前も説明したと思うのよね。
良い行いをすれば良いことが返ってきて、
悪い行いをすれば、悪い行いがじぶんに返ってくるっていうのは、
何をやったかを見てるんだけど、
それ以前に私たちは周波数で発しているものでしょ。
周波数的にはやっぱり、”蒔いた種を刈り取る” っていうのは
絶対的にあるわけで。
最近私が言ってる、
じぶんが生み出したものだから、自分が光に返していくんだ
っていうさ、それこそ法則なのよね
じぶんがその周波数を生み出したら、その世界が生まれる。
そうしてそれを体験する。
その法則自体はやっぱり宇宙にはあるのよね。
でもそれが、”行い” かどうかは また違うっていう。
3次元ってさ、やったこととか、形にしたこととか、結果とか、
それを見て、それが次にこう返ってくるとか。
なんか悪いことが起こったら、
それは前世のあの時のあのことで、これが起こったんだ
っていう見かたをするけど、
やったことじゃなくて、
どんなバイブレーションで存在したか。
どんなバイブレーションの表れでその行動をしたか、なのよね。
だから、なんか例を挙げたと思うけど、
一般的に言われている、
”良いこと”という行動をやっている人たちがいます。
ある人は
じぶんにとっても喜びだし、
周りにとっても役に立つことだと思ってやっている
ある人は
いい人だと思われたいと思ってそのことをやってる
ある人は
周りから良く見られたくてやる
ある人は
罪悪感からやる
みんなやってることは、”良いこと”という行動なんだけど
そのやったこと(行動)じゃなくて、
どんなバイブレーションかっていうところで、
発したバイブレーションを結晶化するっていうことはあるよね。
それを因果応報と表現するか、
まぁわたしは、
”蒔いた種を刈り取る” っていう表現の方がしっくりきているかな。
(ゆき)与えた意味を体験する よりも 蒔いた種を刈り取る
っていうほうがしっくりくる。。と
与えた意味を体験する ももちろんそう。そうなのよね。
与えた意味を体験するっていうのももちろんそうなんだけど、
その因果応報っていうのを宇宙の法則なのかって見ると、
蒔いた種を刈り取る、
やっぱりどんなバイブレーションでじぶんが在ったかっていうね。
表現するにしても、行動するにしても、それ以前に
どんなバイブレーションでそれを言ったか、やったか、っていう
そっちのバイブレーションの方が、結局返ってくる。
与えた意味を体験するっていうのものね、同じことだね。今見たら。
ただ、与えた意味を体験するってまたちょっとね、
語弊が生まれるというか、
じゃあ、いい意味にってポジティブ変換で、
この現実にいい意味をつけて、それを体験しよう
っていうのが生まれるんだけど、
そこにもやっぱり、
”与えた意味を体験する” 以前に
バイブレーションがあるわけで、
そのバイブレーションがつながったところであるっていうのが何より大事。
で、それは結局、最初に言ってた、
つながったところにあるかどうかになってくるんだよね
(ゆき)バイブレーションがほんとに先っていうのはすごく感じる
ほんとに、見えるとこだけ見てきたからね。
やったことが、、、
こうすることで、、、
っていう、ね。
名前つけて因果応報で、とか、カルマっていう言葉が生まれたけど
本来バイブレーションなの。
(ゆき)マザーテレサのあの言葉を思い出した。
何をしたかではなく、どれだけ心を込めたか。
行動って、結局じぶんの周波数の表れで、一つの表現方法なわけ。
じぶんのバイブレーションがどんなバイブレーションだったか。
それが結晶化して。
自分が生み出したものなので、
じぶんの中を分けて生み出したものなので、
それを刈り取るのもじぶんの役割。
そういう意味で、因果応報というのはあります。