day breakからこの物語は始まる
2015年8月16日、三月のパンタシアOfficial Youtube Channelにてday breakが公開されました。
終わりと始まりの物語を空想するユニットである三月のパンタシア(通称:三パシ)の始まりの曲です。
今回はこのday breakの歌詞と個人的な考察を紹介したいと思います。
私は三月のパンタシアデビュー後、ファーストアルバムが発売されてからから推して早5年以上、現在はファンクラブの会員でもあります。
day breakの歌詞
個人的歌詞考察(空想)
ここからは私の個人的な歌詞考察をしたいと思います。
みあさん(三月のパンタシアボーカル)のインタビューもあまり多くはないため、完全な私の考察・空想です。
普段あまり深くは歌詞の意味を考えずに曲を聴いているため、この記事を機に私自身も曲を考え直すきっかけとなりました。
前提としてこの曲は、おそらく空にいる私、つまり亡くなった人物であるのかなぁと思っています。(空想です)
day breakには「夜明け」という意味があります。
三月のパンタシアでは夜が明けることを"新たなスタート"とする表現がよく出てきます。
つまりこれまでの暮らしとは違った世界に行くことを連想させるのです。
今回の考察では亡くなった後の世界として想像してみてください。
重ねてとなりますが、当記事は私の考察であり、空想です。
私はどうなってしまったのか。キミとはもう会えないの。
day break、つまり夜明け後には月と太陽の関係で、追いかけても何も変わらない、つまり出会うことのできない関係になってしまっていることがわかります。
この時点で普通に生活している2人の関係ではなさそうだなという想像が付きますね。
反対に、夜明け前は月と太陽の関係ではなく、いつでも好きなときに会えるような関係であったことが想像できます。
しかし、これだけでは「片想いだが話しかけられないだけ」など色々な可能性を空想できてしまいますね。
その後の歌詞、平気で夜は空を焦がし、どれだけ願っても叶わないというネガティブな心情が早速登場します。
「空を焦がす」という言葉は主に大きな火災で黒色の煙が立ち上る様子を表す際に利用します。
そうです、もしかしたらこの際に私は、、
キミを見ても悲しみだけ溢れ、涙してもキミからは見えない。
普通に考えるとおかしな情景かと思います。
キミを見て、悲しくて涙しているのに、キミからは見えない。
これは私がもうこの世に存在していないことを示唆しているのではないでしょうか。
もうキミには会えない、でもせめて私がいること、忘れないで。
ここからはいよいよサビに突入します。
触れたくて伝えたくてひとり泣いて、愛してるって叫んでも夢幻の空に溶ける。
夢幻はもちろん無限とかけているかと思いますが、叫んでも夢と幻に溶けてしまう。
生きているキミには届かない思いが綴られています。
さよならも言えないまま離ればなれ、この歌詞から私とキミは「片想いで話せない関係」なのではなく、もとから話せる関係、そして亡くなる前の最後にさよならが言いたかった関係にある人物であることが想像できます。
「私がいること忘れないで。」
このセリフは大切な人間でも、家族に言いたい言葉でしょうか?
私であれば家族に最後に言いたいセリフは「忘れないで」ではなく「ありがとう」だと思います。家族を忘れることは無いから。
個人的には、「忘れないで」と言いたい相手は恋人か親友かと思うため、キミ=恋人or親友と考えてもいいでしょう。
キミの幸せは願いたい、でも私の心はキミの背中を押せない。
「day dream」には「目覚めてしまった白日夢」や「叶えられない空想」といった意味があります。
すれ違う言葉は空しく響くという表現は恐らく、空(私)に向かって言葉をかけてくれるキミと、それに応える私の情景です。
生きている世界がもう違うため、私の声は届かない、そんな切ないシーンですね。
その後の、最後に背中を押したくても竦んだ足が拒む。
これはどのような情景だろうかと検討しましたが、あまりしっくり来るものは思い浮かびませんでした。
ただ、恋人関係であったとして亡くなった私の心情に立ってみると、キミには幸せになってもらいたい、私以外の誰かの隣にいたいならキミの気持ちを尊重したい。という気持ちは芽生えてくると思います。
他の人と幸せになって。と背中を押したいけど、なかなか踏み出せない私かなと思いました。
そしていつからかキミを見ては滲む心に怯えた。
これはキミの新たな生活を見ていて私が忘れられてしまうのではないか。など不安が募った情景かと思います。
ただ、新たな幸せの形を探し始めたキミは私のことが心から抜けず、空回りしてしまっています。
キミは寂しさに困っているのに私には何もできない。いつか会える、そう信じて。
寂しさは果てしなくて、キミはひとり泣いて。
私を失った寂しさや新たな出会いに空回りしている寂しさなど、生活における寂しさというものは無限にあると思います。
私のこの手だけではキミの涙も拭えない、そんな私の葛藤が描かれています。
そして、誰もが切なくて愛を求めて歩く。
皆さんも愛を求めてしまうことも多いでしょうが、私もキミももちろん愛を求めて歩き続けていますね。
2人は違う世界にいるけど、愛には夢幻のちからがあります。
出会えることを信じて歩く2人は本当に素敵です。
いつからか届かない声を出せるようになっていた。キミにつながるこの時間、夢幻に続いて!
いつからか声も出せなかった私は、届かないとはわかっているのに声をあげることができるようになってきていました。もちろん願うことはただ1つ。
キミに繋がるようにこの時間が回り続けてほしい、と。
もしかしたら私も永遠にキミのことを見ていられるとは限りません。
キミを見ていられるこの時間が回り続けてほしいと願い続けています。
キミは幸せになって、私はもうそこにはいないけど、キミだけは私がいたこと覚えていてね。
そして、ラスサビです。1サビとは少しだけ歌詞が変わって前向きな感情に変わっています。
「愛してるって叫んでみても 夢幻の空に溶けて」の部分が「愛してるって叫んでみたこと いつか届くと信じて」と希望のこもった言葉となっています。
1サビは会えなくなってすぐの感情だったため、まだキミへの依存感情があったように見えますが、今は届くと信じて叫び続ける。
そんな本当の愛を見つけた私に見えますね。
また、もう1ヶ所歌詞が変わっている点があります。
「どうか私がいること 忘れないでね」から「どうか私がいたこと 忘れないでね」と変わっています。
ここまで読み進めていただいた皆様であれば私がどのような感情なのかもうわかりますよね。
いつまでもキミの中にいて、ずっと忘れないでいてと思っていた最初のころとは違い、私がいた、つまり過去形になっているのです。
亡くなった私のこと、忘れないでほしいけど、ずっと胸の一番に持っておくのではなくて、キミの幸せを願いつつ、私の存在は時々思い出す程度、私って存在もいたな。と思い出してくれるだけでいい。私はそう思えるようになったのですね。
本当に大切なキミであるからこそ、私は幸せを願っている。そんな儚く素敵な物語がday breakには秘められています。
まとめ:day breakは切ない2人の空想の世界での恋のお話
「day break」は、会えなくなったキミと私の、空想の世界での恋のお話でした。
愛し合っているキミと私は、必ずいつか巡り合うことができるでしょう。
2人が巡り会えた空想の世界ではどのような物語が進むのか、楽しみですね。
私の空想にお付き合いいただきありがとうございました。何度も申しますが、本記事は私なりの考察であり、空想です。
しかし、音楽の楽しみ方は十人十色。
皆さんも好きな曲を自分なりに空想してみてはいいかがでしょうか。
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