今夜の夢は
NHKのEテレ、「100分de名著」は良く見る番組だが、今月はフロイトの「夢判断」。自称、心理学オタクの私としても、この分野はずっと興味はあったが全く未開拓。もっとも、私はフロイトより「ユング派」であるが。
何よりそそられるのは、夢は無意識、つまり自分でも気づいていない世界の入り口であり、知らない自分に会う旅でもある、ということ。また、夢判断は、「夢占い」と何が違うのか、という問いに対して、指南役の京大の立木教授いわく、夢分析は、「なぜそのような夢を見たか自分で判断するもの」で、占いの結果のように誰かが教えてくれるものではない、という。
面白いじゃないか。
早速枕元にノートを用意して、夢日記をつけ始めた。何しろ、夢はすぐに忘れてしまう。いい夢だったけどトイレに行きたいからその後で、と思っているあっという間に忘れてしまう。目覚まし時計を止めている間にどんどん忘れる。だから、目が覚めたらすぐにペンを握り、ノートに書きつける。
そうすると、あっという間に2-3ページの日記になるがこれが実に面白く、改めて色々なことを考えさせられる。
よくあるのは、中学時代の友人と大学時代の友人が一緒にいても、今の職場と前の職場の同僚が一緒に仕事をしていても、全く違和感がない。何十年も会っていない、記憶の中に埋没していた人が突然現れて何事もなかったかのように親し気に話しかけてくる。はて?何故親しい友人でもなかったコイツが突然俺の夢に現れるの?。
すばらしくビジュアルな夢を見たこともある。はるか遠くに雪を抱いた美しい山稜。山裾のヨーロッパ風の古城。そして山を見上げながら手前の透明すぎるほど透明で美しい川で泳ぎを楽しんでいる自分。待てよ、このような映像、リアルに見たことがない。多分、私の脳のメモリーには記憶されていないはず。なのに、私の夢は、私の頭の中の生成系AIは、この画像をどこから引っ張ってきているのだろう。はて?である。
夢に出てくる見たこともない映像は前世や来世のもの、と誰かが言っていたが私はそのような論には与しない。一方で、最新のサイエンスは、宇宙はいくつもあり多元的であるとするマルチバース宇宙論もそれなりの支持を得ているし、量子論は、時間も距離も離れた者同士がつながっていることを証明しつつある。だとすると、私が人生で何度も経験した「シンクロニシティー:奇妙な同時性」も科学的に解明される日が来るかもしれない。
それにしても、無意識下の自分のセカイが、宇宙よりも広く、深海よりも深い、というのは痛快である。毎朝が、自分が持っている新しい世界との出会いだ。
眠るのが、そして朝が来るのが楽しみになった。